第二章 第四話 「へーかは……いいことをした……」 黄忠さんの無罪が証明できて。 お母さんを助けようと都まで来た璃々ちゃんたちも全員無事で。 黄忠さんに濡れ衣を着せようとした王允も……死んだ。 いや、俺たちが殺した。 とりあえずは、これで一件落着……のはずなんだけどな。 おかしいな。 何だろう。このやるせなさは。 「へーか……」 王允の亡骸の傍らで泣いている俺の背中を、そっと恋が抱きしめてくれた。 「ごめん、恋。ありがとう」 袖で涙を拭って、俺は立ち上がった。 早く璃々ちゃんをお母さんに、会わせてあげないといけないしね。 「みんなもありがとう……って、どうしたの?」 璃々ちゃんたちや魏延の方を振り返ると、みんな平伏していた。 「も、申し訳ございませんでした!こ、こここ皇帝陛下にた、たたたた大変な失礼を」 おじさんたちは完全に恐縮しちゃってる。 「いいってば。頭を上げてよ。  話しづらいでしょ?」 「お、畏れ多いことでございます」 おじさんたちが、ますます床に頭を擦りつけるなか 「ほんとー?」 璃々ちゃんがにっこりと顔を上げた。 「うん。  ここまで一緒に旅をしてきた仲だもんな」 「わぁい♪  お兄ちゃん……じゃなくて、こーてーへーか。ありがとー!」 「どういたしまして。  あと、魏延もごめんね。  悪意はなかったんだけど、騙すようなことをしてしまって」 「……い、いや、その……」 戸惑う魏延。 「こんな無礼な奴に陛下が謝罪される必要はありません!」 華雄の鼻息は随分荒い。 まあ、華雄と魏延は、初対面から気が合わない様子だったもんなぁ。 「何だとっ!?  だ……だいたい、お前たちならこんな回りくどい真似をせずとも  紫苑様を救えただろう!」 何か売り言葉に買い言葉みたいな感じで、魏延が立ち上がる。 「貴様ーっ!無礼だろうが」 「五月蝿い!皇帝だか何だか知らないが、そもそもお前たちの目が節穴だから、  罪もない紫苑様が投獄などされてしまったんだろうが!」 「ぐぬぬぬぬぬぬ」 「ふんぬぬぬぬぬ」 おでこを突き合わせて、 試合開始直前に睨み合ってる格闘家みたいなことになってる華雄と魏延。 「やれやれ。大の大人が二人みっともないのです」 呆れ顔でねねが仲裁に入ろうとしたが、 「「うるさい、引っ込んでろ!!」」 二人揃って、すごい剣幕でねねを威嚇する。 うーん。打ち解ければ、意外と気が合うのかもね、この二人。 それはともかく、二人に睨まれて怯えたねねは、助けを求めるように恋にすがりつく。 「恋殿ぉ〜」 「……ちんきゅ……だいじょぶ」 「華雄、落ち着けってば。  まあ、魏延の言うことにも一理あるわけだしさ」 「陛下……」 ごしゅじんにしかられたいぬみたいなかおだな、かゆう。 だけど、ちゃんと言うことを聞くあたりは可愛いぞ。 「だけど、恥ずかしながら、俺も皇帝なんて言われてるけど、  俺の一存だけで牢屋に入れられちゃった黄忠さんを助けられるほど、  簡単なもんでもなくてね。  黄忠さんの無罪を証明する必要があったんだよ」 「皇帝が……自ら……?」 そう訊ねる魏延もすっかりと落ち着いたようで。 「うーん……本当は、別に俺がやらなくてもいいんだろうけどね」 「困っとる人がおったら見捨てられへん。そーゆーお方なんよ。  なかなかええ陛下やろ、ウチらの陛下は」 そう言って、俺の肩に手を回し、霞がニカッと笑う。 「そうか……ふふ。  変な皇帝だな、お前は」 魏延が霞と俺を交互に見てから、苦笑する。 「よく言われるよ。  さて、璃々ちゃんお待たせ。  お母さんを助けに行こうな」 「うんっ♪」 ぼすっ 董卓の部屋に入った瞬間、俺に弾丸のように……と言うとオーバーだけど、 茶色い物体がタックルをしてきた。 「わんっわんっ!」 「お、おう!セキト!セキトじゃないか!」 「ちょっとー」 「わんっ!」 腰をぷりっぷり振って、鳴きながらも俺の顔面をべろんべろん舐め回すセキト。 そういえば、旅に連れて行くのはまずかろうと思って、 董卓たちに預けていたんだよね。 「わふっわふっ!」 「ごめんなー。さびしかったよなー。俺も会いたかったぞーっ」 「もしもーし」 「ひゃんっひゃんっ!」 思わず、セキトを抱きしめたまま床をごろごろ。 「いい加減にしなさいよ、あんたっ!」 賈駆が床をダンッと踏み鳴らす。 「ああ、悪い悪い。  報告だよね、報告ー」 「陛下ー。そういうことはちゃんと起き上がってから言うた方がええと思うでー」 呆れ顔で部屋に入ってきたのは霞。 賈駆に指名されたお目付け役として、一緒に報告しに来てくれたんだ。 「おう、そうだな。  霞の言うとおりだ」 セキトをだっこしたまま起き上がってみる。 「……ボクの言うことは聞かないくせに、  霞の言うことは随分と素直に聞くのね……。  って言うか、いつの間にあんたたちそんな仲になったわけ?」 「そんな仲って?」 俺と霞が同時に小首を傾げる。 「うふふ。二人とも息がぴったり合ってますね」 そんな俺たちを見て微笑む董卓。 「今、あんた霞のことを真名で呼んだでしょ?」 落ち着いている董卓とは正反対に、賈駆はものすごくカリカリしている。 「ん?おお、まあ……」 「なんや、賈駆っち。ヤキモチかいな」 霞がふざけて俺の腕に抱きつく。 「お、おい、霞……」 スーパーボールのように弾力溢れる霞の胸が俺の腕に当たりました! 晒一枚越しで当たっているであります! 「そ、そんなわけないでしょ!?バッカじゃないの!?」 腕組みをしてぷいっとそっぽを向く賈駆。 「二人はすっかり仲良しさんですね」 と、にこにこしているのは董卓。 「せやろー?せやねん」 霞ときたら、すっかり上機嫌だ。 ……もし、昔から霞と賈駆がこんな感じだったとしたら、 董卓がいないとこの陣営は崩壊しているよな。うん。 「かくかくしかじか……というわけで」 俺は、董卓たちに今回の旅の顛末を話して聞かせた。 「本当なの、霞?」 疑り深いなぁ、賈駆は。 「間違いないで。ウチも一部始終見届けとったし」 「……う〜〜〜〜……」 「何や、ウチの言うことまで信じられへんのんか?」 霞の声のトーンが少し下がった。 「ち、違うわよ!霞の言うことは信じてるわ!  信じてるわよ……」 「詠ちゃんってば……。  陛下、わざわざ危険な目に遭ってまで、黄忠さんの無罪を証明していただいて……  そして、私たちが過ちを犯してしまうのを防いでいただいて……  ありがとうございました」 董卓が深々と俺に礼をした。 「いやいや、恋や華雄や霞が助けてくれたから、全く危なくはなかったよ」 「ほら、詠ちゃんもお礼を言って」 「えええぇぇぇ」 随分と嫌そうだな賈駆。 「詠ちゃん」 「……あり……がと……」 賈駆が顔を赤くしながら、すごい小さい声でごにょごにょ言った。 うむ。ちょっと意地悪したくなるな。 「あぁん?聞ぃこえぇんなぁぁ」 言っちゃった言っちゃった。 今なら勢いで言えそうな気がしたんだ! 「な、何ですってぇえええ!?」 「今くらいの大きい声なら聞こえたんだけどなぁー」 「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」 さっきとは違う感じで真っ赤になった賈駆が、俺をすっごく睨んでる。 「詠ちゃん……」 「あ、そうだ。  黄忠さんの娘さんたちを待たせてたんだった。  悪いけど、俺たちはこれで」 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」 上機嫌で立ち去ろうとした俺を、賈駆が呼び止める。 「ん?」 「ゆ、月を助けてくれて……ありがとう……」 随分と棒読みだなぁ……と思いはしたが、 きっとこれが賈駆にとっての精一杯なんだろうな。 璃々ちゃんをあんまり待たせても悪いし、これ以上は茶化さないでおくことにした。 「どういたしまして。  これからもよろしくな」 「へぅ……こちらこそ……」 両掌をほっぺに当てて照れる董卓。 可憐だ。実に可憐だ。 それに対して、賈駆は……まだふくれっ面だ。 まあ、これはこれで賈駆らしいというところか。 ちなみに。 嬉しさの余りにセキトがうれしょんしちゃって、董卓たちと話している間中、 俺の服の裾がびしょ濡れだったのは内緒だ! ……ちゃんとしつけないとダメなのかな? 「おっす。璃々ちゃんお待たせー」 「おかえりなさーい!あっ、わんちゃんだー!」 セキトをだっこしながら部屋から出てきた俺を見た 璃々ちゃんのテンションが一段上がった。 だけど、当のセキト本人……本犬と言えば、璃々ちゃんと一緒に外で待っていた 恋の姿を見てもう大興奮。 「わんっ」 俺の腕を飛び出して、恋に飛びついた。 「セキト……ただいま……」 「恋おねーちゃん、その子セキトっていうの?」 「うん……。セキト、璃々にごあいさつ……」 「わんっ」 恋がそんなこと言っても、セキトは久しぶりの恋に夢中だ。 「時に陛下……服の裾が濡れていらっしゃいますが……  そんな年になって、お漏らしでもしたのです?」 ねねが目ざとくセキトのお漏らし後を見つけた。 「俺じゃねえよ!」 「どうだか。陛下ならやりかねないのです」 「やりかねなくねぇよ!ねねじゃないんだから」 「ね、ねねだって、そんなのはとっくに卒業したのです!」 「ほほー。じゃあ、昔はおもらししてたのか。  おもらしねねだったのか」 「う、うるさいのですちんきゅーすいーとちんみゅーじっく!」 至近距離から不意に繰り出されたねねの短い足が、俺の顎を打ち抜いた。 「ぉぅ……」 揺れたよ。脳が軽く揺れたよ! 「陛下、セキトをちゃんとしつけた方が良いのではありませんか?」 華雄が腕を組んだまま、セキトを見下ろす。 「……だめ……」 「いや、呂布殿。こういうしつけは、ちゃんとしておいた方が……」 「こいぬのころは……しかたない……。  おとなになると……しぜんになおる……」 それは知らなかった。 さすが恋。動物のことには詳しいな。 「へぇ。そうなのかー。  まるでねねみたいてぇっ!」 言い終わる前に、足の甲をねねに思い切り踏んづけられた。 「陛下……しつこい男は嫌われますぞ!」 「……ごめん……」 「へーか……そろそろ……」 「あ、そうだ。  ごめんね、待たせちゃって」 いかん。悪ふざけが過ぎたか。 早く璃々ちゃんをお母さんに会わせてあげないとな。 「ううん。  それより、へーかたちはいつもこんな感じなの?」 「いつも陛下がおバカなのは確かなのです」 「ねね……」 「最近、少し……意地悪が過ぎます……」 「え?華雄まで?……ご、ごめん……」 「でも……たのしい……」 おお、さすが恋。ナイスフォロー。 「はいはい。そんくらいにしとき。  アホやってへんと璃々ちゃんのおかん迎えに行くでー」 「お母さん!」 「ああ……璃々……」 ひしっと抱き合う二人。 王允のこととか色々あったけど、 再会を喜び合う親娘の姿を見て、報われた気がした。 「陛下……何とお礼を申し上げれば良いか……」 「お礼だなんてそんな……むしろ、無実の罪で長い間牢で過ごさせてしまって  本当にごめん……」 「そ、そんな!陛下が謝られることではありません!」 「そうだよ!へーかはお母さんを助けてくれたんだもん!」 「助けただなんて大げさだよ。  黄忠さんは、何も悪いことなんてしていなかったんだから」 「あのね、へーかとお姉ちゃんたちがね!」 璃々ちゃんが興奮した様子で、俺たちと会ってからの道中を黄忠さんに話し出した。 「ほ、本当……ですか?」 「ん……まあ、概ね……」 ところどころ、オーバーな表現が含まれてはいたけどね。 「そんな……私たちのために、陛下が玉体を危険に晒されてまで……」 「いや、危険はなかったってば。  みんなが守ってくれたしね。ああ、そうそう魏延さんも」 「焔耶ちゃんまで!?」 それを聞いた黄忠さんの顔色が変わった。 少し険しい感じに。 「あ、そうだ。焔耶おねーちゃんも一緒だったんだよ」 「あの、申し訳ございません。  焔耶ちゃんは今どこに?」 「えっと、城の外で待ってもらってるけど……」 城の近くにあるちょっと高級な宿。 璃々ちゃんやおじさんたちにも寝泊りしてもらう予定の所で、 余談だけど、宿代は俺たちが出してあげている。 その宿の一室で。 「焔耶ちゃん……」 「紫苑様……紫苑さまぁぁぁぁぁぁ」 涙をぶわっと溢れさせ、黄忠さんに駆け寄る魏延。 「焔耶ちゃん」 「紫苑すぁむぁぁぁぁぁぁ」 感動の再会再び……と思いきや 「ていっ」 「んがっ」 黄忠さんのチョップが、抱きつこうとした魏延のおでこを迎撃した。 「な、紫苑さま、何をっ!?」 随分と乙女ちっくな座り方でおろおろする魏延。 「焔耶ちゃん……あなたには楽成の留守を守るように  お願いしていたはずでしょう?」 「は、はい。ですが……」 「ですがじゃないでしょ?」 「……はい……」 「あなたまでいなくなっては、楽成の民を誰が守るというのですか?  あなたを信頼して、任せたと言うのに……」 黄忠さんが魏延を叱る声には、静かだけれども迫力があった。 魏延は、俺たちの前では随分と態度が大きかったけど、 それが嘘みたいにちぢこまっちゃっている。 魏延は黄忠さんのこと、大好きっぽいからなぁ…… お互いに真名で呼び合っている仲みたいだし。 そんな黄忠さんと感動の再会のつもりが、 会っていきなり叱られたら凹むよなぁ……。 「恋……助けに来たぞ!」 「へーか……」 「恋ーーーーーーっ」 「かずと……めっ」 「ぐはぁ……脳が……脳が割れるように痛いっ」 うーむ。 俺が今の魏延の立場だったら……とか考えてみたけど、キツいなぁ。 もっとも、俺が恋のことを助けるなんて事態が訪れることはないだろうけどなー。 さておき。 「まぁまぁ、黄忠さん。魏延もほら、反省しているみたいだし」 「はぁ……。陛下がそう仰られるのであれば……」 「それに、魏延が黄忠さんと璃々ちゃんのこと、心配で心配で  ここまで来ちゃったっていう気持ちは、黄忠さんもわかるでしょ?」 「……まぁ……それは……」 「紫苑様……」 魏延の両目の端にまた涙がぶわっと。 「城の民を放って来たのは感心しないけれど、気持ちだけは嬉しかったわ。  ありがとね、焔耶ちゃん」 「紫苑さまぁぁぁぁぁぁ」 黄忠さんに抱きつこうとする魏延。 「えいっ♪」 そして、そんな魏延を再び迎撃するチョップ。 今度は脳天に。 「し、紫苑さま!?」 「調子に乗らないの」 「そ、そんなぁ……」 「焔耶お姉ちゃん。璃々が代わりにぎゅーってしてあげるから。ね?」 黄忠さんにチョップされた脳天を手で押さえ、床にぺたんと座り込んでいた 魏延の頭を璃々ちゃんがなでなでしてあげてる。 「あはは。璃々ちゃんは優しいなぁ」 「んまぁ、陛下ってば。  そうですね。私は優しくないですからね」 黄忠さんが軽くほっぺをふくらませる。 う……可愛いじゃないか。 一児の母のくせに可愛いじゃないか。 「そ、そんなこと言ってないですって!」 「うふふ。冗談ですよ」 ああ。 牢屋で会った頃にはわからなかったけど、黄忠さんって 意外とお茶目な人だったんだな。 「ああ、そうそう。  楽成なんだけど、信頼できる……らしい人に韓玄の捕縛に行ってもらったから  町の心配はいらないと思うよ」 「信頼できるらしい……ですか?」 「うん。俺が直接会ったことないからね……」 「高順のことやったら大丈夫や。  腕も立つし、何より曲がったことが大嫌いやから信用してええよ」 霞が黄忠さんにウインクする。 「そうですか……。  皇帝陛下、本当に何から何までありがとうございました。  改めまして……我が名は黄忠、字は漢升。真名を紫苑と申します。  どうぞ、これからは紫苑とお呼びくださいませ」 黄忠さんはそう言って、俺に向かって優雅にお辞儀した。 「紫苑様!?」 動揺する魏延。 あー。俺が黄忠さんのことを真名で呼ぶのが、気に入らないんだろうなー。 「あら、なぁに?焔耶ちゃん」 「い、いくら相手が皇帝だからとは言え」 「ちゃんと陛下ってつけなさい」 「皇帝……陛下だからとは言え、紫苑様の真名を……」 「あら。私と璃々の命の恩人なのよ?」 「それは……そうかも知れませんが……」 「さ、焔耶ちゃんも」 「ええっ!?」 「焔耶ちゃんは、私と璃々の命を救ってくださった方のことなんて  どうでもいいって言うのね。そう……残念だわ……」 「そ、そんなことはありません!  ……魏延……真名は焔耶だ……勝手に呼べばいいさ!」 「あ、いや、黄忠さん……じゃなくて、紫苑さん。  別に魏延にまで無理に真名を」 「いやですわ、陛下ってば。  『さん』付けなんてお止しになってください」 ずいっと一歩、紫苑さんが俺に近付く。 紫苑さんの豊か過ぎるおっぱいの先っちょが、俺に当たるか当たらないかの間合。 思わずドキッとして、頬が赤くなってしまっているのが、自分でもわかる。 「紫苑……と呼んで下さいまし」 「え?いや、でも……」 「お嫌……ですか……?」 アタリマシタ。 イマ、ムニョントアタリマシタ。 スゴクヤワラカイモノガ……。 「い、嫌とかじゃなくて……」 う……心拍数がすごい上昇してきて口がぱくぱくしても言葉にならない……。 「あなた様に救われたこの命……望まれれば、我が心も身体も……  全て陛下に捧げる覚悟がありますわ」 触覚だけじゃない。 鼻からは、頭が思わずぼうっとしてしまいそうないい匂いが…… ごくりっと思わず生唾を飲み込んでしまった。 「だ、ダメですってば……」 らめえ! みんな……特に恋が見てる……! 俺のことをとっても無表情に見つめてる……! けど、動けない。 金縛りって言うのとはちょっと違うかも知れないが、身体が言うことを聞かないんだ。 そんな情けない俺を、璃々ちゃんが助けてくれた。 「へーかを誘惑しちゃダメだよ、お母さん。  へーかには恋お姉ちゃんっていう立派な恋人がいるんだから!」 「あら、そうなんですか?  えっと……」 俺からすっと離れてきょろきょろと辺りを見回す紫苑さん。 「恋は……べつに……そんな……」 ちょっと困った顔をしている恋。 「あなたが陛下の恋人さん?ごめんなさいね。  誘惑とかそんなつもりじゃなかったのよ。  ただ、陛下が私のことを紫苑ってちゃんと呼んでくださらないから、  ちょっと意地悪しちゃっただけなの……」 「恋は……気にしてない……平気……」 「あなたも……いえ、璃々のことを助けてくださった皆さんも  私のことは紫苑と呼んで下さい」 「……恋のことも……恋でいい……」 「ねねのこともねねでいいのです。  ねねは恋殿の軍師ですぞ!」 「ウチのことも霞でええよ。よろしゅうな、紫苑はん」 うんうん。 みんな打ち解けたみたいで何よりだ。 ……恋も怒ってないみたいだし……。 その日の夜のこと。 「へーか……」 今日の警備当番は恋。 恋が控えめに戸を少しだけ開けて、俺に声を掛けてきた。 「ん?」 「月と詠があいたいって」 董卓と賈駆が? 珍しいこともあるもんだ。 「いいよ。通してあげて」 「……わかった……」 間もなく、俺の部屋に董卓と賈駆が入って来た。 「珍しいな。二人がこんな時間に俺の部屋に来るなんて」 「そうですね」 「用がなければ、来たくなかったわよ」 「用って?」 「あ、あの……ですね……その……」 もじもじする董卓。 「うん?」 「月が行くって言ったんじゃない。しゃきっとしなさいよ、もー」 「まあまあ、急かすなって。  董卓、落ち着いて話してくれればいいよ。  俺はちゃんと待つからさ」 「へぅ……」 ……何だ? この照れ様は。 まさか愛の告白とか!? ……ないな。 さすがにそれはない。 「あ、あのですね……昼にお会いした時にお話しようと思っていたのですが……」 「うん」 「へぅぅ」 「月ぇ……いいわよ。もう帰ろ」 やたらとさっきからそわそわと帰りたがっている雰囲気の賈駆。 「……え、えっと、それでですね……どこまでお話しましたっけ?」 「昼に会った時に言おうとしてた……までよ」 「ありがとう、詠ちゃん。  あの……陛下に相国に任命していただいて、  この国を良くしようと、私たちなりに頑張って来ました。  けど……陛下がいなければ、無実の黄忠さんを死なせ、楽成の人たちを  悲しませてしまうところでした……。  今回の件では、陛下に本当に感謝しています」 「いや、俺もこの国を良い国にしたいって思うからさ。  この国のために、出来ることをしただけだよ」 「それでですね。  この国を統べるのにあたり、  今後は陛下のお知恵も積極的にお借りしたいと……思いまして……」 「……俺の……?」 「はい」 董卓はこう言うけれど……でも…… 「賈駆はどうなの?」 「……ボク?」 「うん」 「月がどうしてもって言うから、渋々だけど反対はしないどいてあげるわ」 「そ、そうか」 「だいたい、こうやって月について来ているんだからわかるでしょ!?」 「ああ、それもそうだな」 何を話すか内緒で、董卓が賈駆を連れて、俺の部屋に来ることなんてないだろうな。 確かにわざわざ聞くまでもなかった。 「つきましては、陛下……」 「うん?」 「今後は、私のことは真名で……月とお呼びください……」 「え?いいの?」 「元々、私たちは陛下の家臣なのですから当然のことです……。  今更で申し訳ないのですが……」 「あ、ありがとう……」 「詠ちゃんのことも真名で呼んであげてくださいね」 「えー」 うわ。 賈駆が露骨に嫌そうだ。 「いいよ。賈駆は嫌そうだから、名軍師賈駆様って呼ぶようにするね。  それで満足だろ?名軍師賈駆様は」 「あんた、ボクをバカにしてるでしょ!」 一転して真っ赤になって怒る賈駆。 「……詠ちゃん……」 「うん。さすが名軍師賈駆様はお見通しだな!」 「……うーっ。とことんボクをバカにして……!  そんなバカにした呼び方されるくらいだったら、詠でいいわよ!もう!」 「んじゃ、月に詠ね。  これからもよろしく」 「はいっ」 「……はぁ……やっぱこいつムカつくわ……」 「ふふっ。でも、詠ちゃん楽しそう」 「ば、バカ言わないでよ、もー!もーっ!」 俺と月の笑い声が静かな夜の宮廷に木霊した。 「ねぇ、恋……」 月たちが去った後、戸越しに恋に声を掛けた。 「……?」 「何か今日だけでさ、色々な人と距離が縮まった気がする。  真名って特別なものなんでしょ?」 「……特別……」 「紫苑さん、焔耶、月に詠。あと、一緒に旅をしてた時に霞。  みんなが俺のこと、真名を呼ばせてくれるに値する人間だって  思ってくれたことが嬉しいんだ……」 「……へーかは……特別……」 恋が呟いたその特別という言葉には、何か寂しげな響きがあった。 「あれ?一刀って呼んでくれないの?」 「……」 「一刀って俺の真名は、恋にだけしか預けてないから、  恋が呼んでくれないと寂しいな……」 「……」 「恋……ごめんな。俺、ちょっとはしゃぎ過ぎてた」 「……ううん……かずとのこと、みんなが認めてくれて、恋はうれしい……」 「ありがと」 戸を開けて、後ろから恋の頭をなでなでした。 「……ん……」 「じゃ、そろそろ寝るわ。おやすみ、恋。  今日もありがとな」 「かずと」 「ん?」 「かずとは……紫苑みたいなおっぱいが……好き……?」 「な、何を突然」 この動揺は確実に恋には伝わっただろうな……。 「かずと、紫苑のおっぱいをよく見てた……」 はははは、さすが恋さん。よく俺のことを見ていらっしゃる。 確かにあのボリュームには驚かされたし、思わず目が釘付けになっちゃったのは事実だ。 ちょっぴり触ってみたいなと思いもしたし、 胸が当たった瞬間、盛り上がっちゃいもしたよ。 だって、持て余す青少年だもの! とはいえ。 「正直言うとね、確かにすごいなーとは思ったよ。  あんなに胸が大きい人には初めて会ったから、  びっくりして思わず見ちゃったけどね。  でも、胸の大きさなんていうのは、その人の特徴の一つに過ぎないか……ら……?」 振り向いた恋の胸が……胸が……いつもより何か大きいー!? というか、不自然に大きい。 大きさだけなら紫苑さん並だけど、形がおかしい。 「……」 「……恋……何入れてるの、それ……」 「きゅうにおっきくなった」 「嘘だ!」 「……恋は……紫苑ほどおっきくない……」 そういえば、何か紫苑さんと会ったばっかりの時にも、 恋はそんなことを気にしていたなぁ。 「俺が恋のことを好きだっていう気持ちに、胸がどうこうは関係ないよ。  ありのままの、そのままの恋が好きなんだ」 「ほんと……?」 「うん」 「……肉まん……」 恋が胸元から肉まんを次々に取り出した。 恋の胸だって決して小さくはないのだが、 それでも紫苑さん並の大きさを再現しようとすると、二つでは足りなかったのだろう。 そして、俺と恋は月を見ながら二人で肩を並べて、 人肌くらいの温度になった肉まんを仲良くいただいて…… 人目を忍んで、ほんの短く口づけを交わした。 久しぶりのキスは、ほんのりと肉まんの香りがした。 紫苑さんたちは少しの間、都に逗留してから楽成に帰った。 最初は五虎将軍の黄忠が、恋たちと一緒に戦ってくれたら、 万が一、反董卓連合が結成されても心強いなぁ…… なんて思っていたのだけど、紫苑さんたちのことを慕っている 楽成の人たちのことを考えれば、仕方がない。 璃々ちゃんたちにお土産をたくさん持たせて、俺たちは紫苑さんたちを見送った。 「へーかは……いいことをした……」 紫苑さんたちの姿がだいぶ遠くなった頃に、恋がぼそっと呟いた。 「うん?」 「王允がしんだとき、へーかはないてた。  けど、へーかは紫苑たちを助けた……だから、へーかはいいことをした……」 「……ありがと、恋」 王允、ごめん。 俺には、あなたを救うことが出来なかった。 あなたの苦悩を理解してあげられなかった。 それは本当に俺の不徳だ。 だけど、あなたのやり方はやっぱり許せない。 俺は、もう今回の件で後悔はしないよ。 そして、紫苑さんや璃々ちゃんたちを助けてあげられたことを誇りに思う。 あなたのような悲劇を繰り返さないように、俺は努力すると誓うよ。 だから、本当にさよならだ。 さようなら、王允。 その頃…… 「華琳様……王允が叛逆の罪で処刑されたそうです……」 「……そう……意外と早かったわね」 軍師を務める荀ケの報告を聞いて、曹操は窓の外へと目をやった。 「ちなみに、これはあくまで噂なのですが……」 「……噂……?」  それは事実を確認する前に、私に伝えるほど重要なものなのかしら?」 窓の外から荀ケへと戻された視線には、不愉快そうな色が含まれていた。 「いえ。あなたに限って、そんなことは愚問だったわね、桂花。  続けて頂戴」 「はい。  董卓は当初、無実の領主を処刑しそうになっていました。  ですが、皇帝が自ら家臣を連れて真相を調べ、王允が裏で糸を引いていたことを  突き止めたらしいのです。  そして、皇帝一行の手で王允は処刑された、と」 「……皇帝が自ら調べて?」 曹操の眉間に皺が寄った。 「俄かには信じがたいのですが……」 「今の皇帝は確か、十常侍が無理矢理に即位させた劉協だったわね」 「はい。劉協については、  霊帝崩御まで、十常侍が匿って育てていたとかで情報はあまりないのですが……」 「相当に突飛な話だけれども、火の無い所に煙は立たず。  例え、噂が真実ではないとしても、興味深いわね」 「華琳様……このままでは、せっかく地方に流した董卓の悪評が……」 「そうね。せっかく芽が出たものをむざむざ枯れさせることはないわ。  桂花。計画を早めましょう」 「承知致しました」 深々と礼をして、荀ケが曹操の玉座の前から去る。 「さて、董卓。  あなたは生き残れるかしらね」