第一章 第一話 「漢帝国を支配しているのは、ボクたちだ」 俺が劉協として生きることを選んだ日に、 皇帝……諡を霊帝と言うそうだが、 彼の崩御が、十常侍の口から文武百官に伝えられた。 同時に、十常侍らがでっちあげた霊帝の遺言によって、 でっちあげられた皇太子の俺が、皇位を継ぐことになるはずだった。 が、宮廷内でそれを良しとしない者たちから、待ったがかかった。 霊帝には劉弁という皇太子がいた。 その劉弁の母である何太后は今回の件を聞いて当然のごとく、大激怒。 袖を噛んで引っ張りムキーッと怒りを露わにして、侍女たちに当り散らす。 「どうして私の子ではなく、あの協如きが皇帝に……」 面白くない。 まるで面白くない。 「こうなったら、お姉様に言って、協を皇位から引きずり下ろしてやりますわ!」 ちなみに何太后って変換する時に 「なにふといきさき」って打つのだが、しゅごい的なものを感じるよね。 何太い后。 その何太い后は大きな胸をゆっさゆっささせながら、姉の何進に泣きついた。 この何進という人、元は町の肉屋の看板娘だったのだが、 妹が皇帝に嫁いだおかげで、あれよあれよと大将軍まで出世した人である。 大将軍に皇帝の后、漢帝国のセレブ中のセレブ 人呼んで、何姉妹とは彼女たちのことだ。 「面白くありませんわ!面白くありませんわ!お姉様」 「そうよねぇ。年の順から言っても、弁ちゃんの方が皇帝に相応しいはずよ!」 肯くついでに姉も、負けずに大きな胸をぶるんっと振るわせた。 「だいたいあの協っていう男は昔、お姉様が始末したのではなくって?」 「そのはずなのだけど……宦官たちの噂によると  始末したと思ったのは実は偽者で、  本人は十常侍が、こっそりと匿っていたらしいのよ」 「キーッ!忌々しきは十常侍!」 地団駄を踏む何太后。 「私に任せなさい。  十常侍に目にものを見せてさしあげるわ!」 何進は家臣(駄洒落じゃないよ?)たちを集め、声高らかに宣言した。 「皇帝の座には、霊帝陛下の長子である劉弁殿下こそがふさわしいのに  十常侍は陛下の遺言と称して、協めを皇位に就けると宣言しました!  これは、漢の帝室を徒に我が物にせんという十常侍の陰謀ですわ!  皆さん!私は今から兵を率いて禁門に乗り込み、  国を乱す宦官どもに天誅を下しましょう!」 「おおお……」 どよめく諸将。 「ならば、この袁本初に先陣の役目をお任せくださいませ!」 居並ぶ将の中で真っ先に名乗り出た金髪縦ロール。 美しく長い金髪に整った目鼻立ち、黄金色の甲冑が包むのは極上のグラマラスな肉体。 そのゴージャスな外見は嫌が応にも人目を引く。 「おおっ。あの三公を輩出した名門、袁家の!」 「司隷校尉の袁紹か!」 袁紹の周囲でどよめきが起きる。 それを見た何進は満足そうに肯いた。 「いいでしょう。袁紹さんに五千の兵を授けましょう。  生意気な十常侍たちが刃向かうようならば、遠慮なく殺しちゃいなさいな」 「お待ちください、何進将軍!」 しかし、ここで何進の考えに異議を唱えた人物がいた。 「あぁら、華琳さん。国賊を討つための先陣という栄誉あるお役目を  私に取られて悔しいのかしら?  オーッホッホッホッホ」 「違うわよ。麗羽……少し黙ってて」 「な、何ですって!?」 呆れ顔で袁紹をあしらった彼女は曹操。 彼女もまた漢の名族の子孫と言われている。 「十常侍は奸智に長け、用心深い連中です。  禁門に兵を率いて乗り込む暴挙は下手をすれば、  漢帝室に対する叛逆と取られかねません。  一歩間違えれば、将軍の身の破滅を招くことになるのは必定。  慎重に事は運ぶべきかと」 自信たっぷりにそう何進に言った曹操だったが、 「はぁ?何を言っていらっしゃるの?  事を起こす前に不吉なことを言うなんて、何を考えているのかしら」 何進の人を小馬鹿にした表情と態度と言葉、その全てが曹操をイラッとさせた。 「正義は私たちにありますわ!  その私たちが何を恐れる必要がありましょう!  この袁本初、必ずや国を乱す元凶の十常侍を討ち果たしてみせましょう!  オーホッホッホッホッホ」 袁紹はうっとりした顔で、その豊かな胸を天に向けてふんぞり返って高笑い。 「さすが袁紹さんですわ!頼もしいですわね!  ホーッホッホッホッホッホ」 何進もまた、はちきれんばかりな爆乳を天に向けて高笑い。 一人微乳の曹操は舌打ちをして、バカ二人に意見を述べるのを止めた。 「このバカたちにつける薬はないわね……」 袁紹は配下の猛将、文醜と顔良の二人と共に五千の兵を率いて 皇帝の宮城の入り口である禁門に迫った。 「出ていらっしゃい、十常侍!  さもないと、こちらから乗り込みますわよ!」 「オラーッ!こちとら暴れたくてうずうずしてるんだー!  乗り込む気満々だぞー!」 文醜は大剣をぶんぶん振り回しながら、元気を持て余していた。 「文ちゃん、ちょっと危ないってば!」 その横で冷や冷やしているのが顔良。 さすがの袁紹たちもいきなり禁門内へ踏み込まなかった。 急に発案者の何進が尻込みし出したからである。 しかし、緊張感は高まり続け、禁門は一触即発の状態に見えた。 一方、禁門内もおおわらわ。 十常侍たちの顔色も、さすがに動揺を隠せない。 「ど、どうする?」 「まずいよ、こっちの兵だけじゃ抑えきれないってば」 「仕方ないよ、こうなったら……」 その頃、俺は後宮にある一室に押し込められていた。 そして、その部屋の外で戸を守って立っているのは、あの時の女の子。 呂布。 「ねぇ」 「……」 「呂布さんだっけ?」 「……」 残念ながら、答えてもらえない。 ちなみに俺は、十常侍から侍女と話すことさえ許されていない。 余計なことを話して、ボロが出ては困るからだそうだ。 確かにこっちの世界のことを教わる前に、 大変なことになっちゃったみたいだもんなぁ。 でも、今は十常侍もいないので思い切って話しかけてみている。 「外で何が起きているかわからないけどさ。  俺……どうなるんだろうな」 思わずため息をつく俺。 「……へーかと……」 「うん?」 「お話しちゃダメって……言われてる……」 だんまりだった呂布が、小さな声で答えてくれた。 「そっか。ごめん。  そう言えば、俺もみんなと話をしちゃダメだって言われてたや」 「へーかは……悪くない……」 「ありがとう。  初めて会った時にも思ったんだけど……  可愛い声……してるよね」 「……こえ?」 「うん。でも、声だけじゃなくて顔も可愛かったけどね」 「……」 戸越しなのでわからないが、どうも恥ずかしがっているみたいだ。 「ねぇ」 「……?」 「ちょっとだけでいいんだ。  顔を見せてくれないかな?」 「……だめ……」 「どうして?話をしちゃダメって言われていても、  顔を見せちゃダメとか言われてはいないでしょ?」 「……ん……」 考え込んでいるみたい。 少しして、戸がそっと開いた。 「……ちょっと……」 彼女はそう言って、本当にちょっとだけ顔を見せて、すぐに戸を閉じてしまった。 「ありがとう」 「……?」 「君の顔がまた見れて、嬉しかった」 「……」 はは、また照れているみたいだ。 「十常侍から俺を守れって命令されてるんだよね?」 「……」 「でも、もし、君が危険になったとしたら、俺のことは見捨てて降伏して欲しい。  俺なんかのために君が死ぬことなんてないんだから」 俺はこの世界に来たことの意味を知るために、生きる道を選んだつもりだったけど、 どこかで選択を間違えちゃったのかなあ。 この部屋に移されるまでに聞こえた話では、 五千人の兵士が十常侍を殺すために、ここを包囲しているらしい。 たぶん劉弁って人にとって、邪魔者の俺も消されるんだろう。 彼女がもし三国志の呂布だったら、 あの万夫不当と言われた呂奉千だったら、とても心強いんだけどね。 でも、こんな可愛い子が俺のために危ない目に遭うなんてダメだ! そうだ。 敵の兵士がここに来たら、俺が投降しよう。 そうすれば、彼女の命くらいは救えるだろう。 俺が彼女を守るんだ。 「……だめ……」 彼女の声は静かだったが、強い意志に満ちていた。 「へーかは……恋が守る。  だから、へーき」 「……恋?」 「恋は真名。  恋の本当の名前。  特別な人だけが呼んでいい名前。  へーかは特別だから……恋を真名で呼んでも……いい……」 「ありがとう……恋」 改めて呼んでみるとちょっとくすぐったい感じがした。 真名か。 この世界にはそんな風習があるんだな。 ということは逆にうっかり呼んだりしちゃいけなそうだな。 気をつけよう。 「……へーかには真名……ないの?」 ……本当の名前…… 俺の世界にはそういう習慣はないけど、 でも、本当の名というのならば……俺にもある。 俺がこっちの世界に来て、すぐに捨てさせられた本当の名前が。 「一刀……それが俺の真名だよ」 「……へーか……いいの?」 「いいよ。二人だけの時はね」 「かずと……」 少し恥ずかしそうに俺の名を呼ぶ恋。 「うん」 「ちょっと……照れくさい……」 「ふふっ。  それにしても、恋とたくさんお話しちゃったな」 「……ぁ……」 「いいよ。内緒にしておいてあげる。  十常侍に叱られるのは俺だけでいいから」 「……へーか……」 「一刀」 「……かず……と……」 「うん」 「……ちょっと……照れくさい……」 「俺もさっき恋って呼んだ時、ちょっと照れくさかった」 「へーかも?」 恋ってばまた陛下って呼んだ。 でも、今は訂正しないことにした。 「うん。  でも、今はちょっと違うかな?」 恋って呼ぶ度にドキドキする。 照れくささとは違うドキドキ。 ダメだなぁ。 こんな幸せな気分になったら決心が鈍るじゃないか。 ……死にたくない。 まだ死にたくないよ。 所変わって、後宮の何太后の部屋。 「皇后様、十常侍の方たちがお見えですが……」 「ん?何用とな」 「彼らが申すには……」 女官が何太后にこそこそ耳打ちする。 「真か!」 今晩はすき焼きよと言われた昭和の子供のように、ぱぁっと笑顔になる何太后。 「はい、確かにそのように申しまして、陛下の璽が押されている書状も  このとおり……」 「おお、通せ通せ。あの童どもをここまで通してやるがよいぞ」 「何太后様ー」 いきなり何太后の足元にすがりつく十人の美少年たち。 恐怖に身を震わせ、上目遣いで憐れみを請う様はまるで子犬のよう。 「お助けください、何太后様ー」 「何とぞお慈悲をー」 そんな彼らの姿を見て、胸に湧き上がるのは圧倒的な優越感。 十常侍憎し、生かしてはおくまいと姉と共に息巻いていた何太后であったが、 こうして無力な彼らを見下ろすのは、実に心地よかった。 更に何太后を上機嫌にさせていることがある。 「お前たちの助命、お姉様に私から頼んであげてもいいのだけども……ねぇ?」 ゆったりとした動きで靴を脱ぎ、見せつけるように足を組む何太后。 それを見て、十常侍の一人が、何太后の足の甲に口づける。 「もちろん、皇位継承の件は、何太后様のお子である劉弁様に」 「劉協めは西方にでも追放して、幽閉いたしましょう」 「ボクたち、これからは心を入れ替えて、一生懸命劉弁様に尽くしますから!」 足の甲に口づけたその唇の間から小さく舌が覗く。 ちろっと舌の先が何太后に触れる。 何太后は頬を赤らめながら目を細め、ますますご満悦の様子。 「ほほほ。お前たちはまるで子犬のようじゃのぉ」 「はい。ボクたちは何太后の犬でございます」 後宮に何太后の高笑いが響いた。 何太后の取り成しで何進たちは兵を退いた。 「甘いですわ!この機会に国の癌は取り除いてしまうべきですのに!」 袁紹は不平たらたらで何進に迫ったが 「目的は達したのですし、何も宮中を血に染めることはないでしょう?」 とただでさえ尻込みしだしていた何進はすっかりとやる気をなくしていた。 「全く何進さんにはがっかりですわ!」 袁紹は憤懣やるかたなし。 「そうですよね、麗羽様。  あんな奴ら、サクッと殺っちゃえばよかったんですよ!」 不完全燃焼に終わった文醜もふくれっ面だ。 「んもー。麗羽様も文ちゃんも相手は子供なんですから、大人げないですよぉ」 二人をなだめようとする顔良。 そんな袁紹たちの前ににやにやしながら、曹操が現れた。 「随分と張り切っていたようだったけど、気合が空回りしたみたいね。麗羽」 「何がおかしいんですの?華琳さん」 むっとする袁紹。 「別に。ただ……」 曹操は袁紹からわざとらしく視線を外してから、言葉を続けた。 「珍しく、あなたが言ったことは、正しいと思っただけよ」 「……?」 「華琳さま、袁紹さんは華琳様が言った言葉の意味が  まるで理解できていないみたいですよ」 意地悪そうな顔でほくそ笑むのは、曹操の軍師である荀ケ。 「華琳さん、誰ですの?この小生意気なちびっこは」 「ち、ちびっこって……ちょっと待ちなさいよ。  私のことおぼえていないわけ!?」 荀ケの顔をまじまじと見つめる袁紹。 「……どこかで会ったことがあったかしら?」 「……なっ!?」 袁紹に食ってかかりそうな荀ケを制止する曹操。 「桂花!さがっていなさい」 「は、はい……」 渋々、曹操の後ろに隠れる荀ケ。 「……で、何の話でしたかしら?」 「何進は墓穴を掘ったっていう話よ」 「華琳さん。あなたの話はどうにも見えませんわね」 「……はぁ。  今回十常侍を見逃したことで、あの肉屋はそう長くは生きられないでしょうね、  って言いたかっただけ」 「そうですわね。あんな成り上がり者は、私の言うことを聞かなかったことを  後悔することになりますわ。オーッホッホッホッホ」 気が付くと、袁紹はすっかり上機嫌になっていた。 そんな袁紹には曹操の呟きは聞こえなかっただろう。 「じきに嵐が来るわね。  麗羽、あなたは生き残れるかしら」 ご機嫌で去っていく袁紹と文醜。 一人、残った顔良がこっそりと荀ケに声をかける。 「ねぇ。あなた確かうちに昔いた荀ケちゃんだよね」 「やっぱり袁紹のところでまともなのはあなただけね、顔良……」 「曹操さんのところにいたんだ」 「ええ。  華琳様は素晴らしいわ。  私が全霊を捧げてお仕えするに相応しい器の大きな方よ。  昔の配下の顔を憶えてもいない袁紹なんかとは大違い」 うっとりとした表情で語る荀ケ。 「そうね。桂花は優秀な軍師よ。  麗羽もこんな子を手放すなんてどうかしてるわね」 二人の言葉を聞いて苦笑する顔良。 「荀ケちゃん、自分の居場所を見つけられたんだね。良かったね」 「ありが……とう……。  あ、あなたも良かったら、華琳様の下へ来たらどう?」 そこへ袁紹の声が響く。 「斗詩さん!そこで何をちびっこ相手に油を売っていらっしゃるの?」 「あ、はーい。麗羽様、今参りますー!」 袁紹に手を振った後、顔良は荀ケを振り返り微笑んだ。 「ごめんね。私の居場所はあそこにあるから」 「そう言うと思ったわ。  せいぜいおバカの下で頑張りなさいな」 「うん。荀ケちゃんも頑張ってね。  曹操さん、荀ケちゃんをよろしくお願いします」 袁紹に見えないように小さく荀ケに手を振って、顔良は駆けて行く。 「あ、あなたもね……」 去り行く顔良の背中に向かって呟く荀ケであった。 さて。 即位して一日で皇帝の座からひきずり下ろされた俺は今、馬車で洛陽の西にある 長安へと向かっていた。 俺と馬車に同乗しているのは十常侍の一人、張譲。 「……なぁ、俺はこれからどうなっちゃうんだ?」 「どうって?」 かなり不機嫌な様子の張譲。 「皇帝にはあの何太后の息子がなるんだろ?  そしたら俺は用済みってことになるんじゃないのか?」 「ふん。冗談だろ?  あんな肉屋のおばさん、いつまでも調子に乗らせておくわけないじゃないか。  すぐにボクたちを甘く見たことを、後悔させてやるよ」 「……でも相手は大将軍と元皇后だろ?」 「わかってないね。  ボクたちは十常侍だよ?  お前にも漢帝国を支配しているのは、ボクたちだって思い知らせてあげるさ」 どうしてかはわからないけど、この少年の不敵な笑みに俺は 底知れない恐怖を感じた。