序章 「北郷っていう男にはこの世から消えてもらうよ」 人間というのは頑丈なようで 案外脆い生き物だ。 俺の近所に住んでいたサラリーマンの人は 幼稚園くらいの頃に、走行中の自転車の荷台からアスファルトの路面に落ちて 後頭部を打ったけど、傷一つなかったらしい。 かと思えば、運が悪いと嘘みたいに簡単に人は死んでしまう。 ちょうど今、俺の下敷きになって倒れている男性なんかも その一人なんじゃないかなぁ…… 俺こと北郷一刀は そう思うわけである。 えー。 意識……なーし 呼吸および脈拍……なーし 瞳孔……超開いてるー とりあえず見よう見真似心臓マッサージなどもしてみたが、応答なーし。 「……マジか」 落ち着け。落ち着け俺。 そう、こういう時は落ち着いて素数を数えるんだ。 「1……って、1は素数じゃねえ!」 ああ……父さん母さんおじいちゃんおばあちゃん 状況は何が何だかよくわかりませんが…… 俺、人殺しになっちゃったかも知れません……。 というか。 まず誰だい、この人は。 何かラスト何たらとかいう映画に出てきた皇帝みたいな格好して ご丁寧に映画のセットみたいに部屋の雰囲気も中華風。 どこだよ、ここ。 昨日までの俺の人生では見たこともない光景だ。 夢か?夢なのか? 何から何までわからない。 一体何がどうなってるんだーっ!! 何が起きたのかわからないが、 今見ているものが夢でないのなら…… 夢の場合は大抵、その世界を自然に受け容れて 違和感を感じることはほとんどないが…… 今、俺は自分の置かれている違和感ありまくりの状況に疑問を抱いている。 これが夢でないのだとしたら、 目の前のこれは現実だということになる。 「……」 「……」 びっくりした。 心臓マッサージやら何やらで必死だった俺を見下ろしている少女が一人いることに 今更ながら気が付いた。 槍……とはちょっと違うな。 三国志のゲームで呂布が持っていた、方天戟みたいなのを片手に持った ゲームのキャラみたいな格好の女の子。 強いて言えば服はちょっと中国風な感じだけど、 中華風ファンタジーという方がしっくりくる。 「こ、こんにちは……」 「こん……にちは……」 おそるおそるお辞儀してみると、少女も無表情ながらお辞儀し返してきた。 礼儀って大切だよね! ではなくて。 とりあえず、日本語は通じるみたいだ。 ってことは、ここは中国じゃないのか。 「あのー……いつ頃からご覧になられてました?」 「んと……こう……してたところ……」 俺の見よう見真似心臓マッサージを、更に見よう見真似で再現された。 「うん。えっとね、この人の心臓が動いてなかったから、  マッサージして生き返らせようと……」 「……まっさーじ?」 「うん。心臓のあたりを両手で……こう……」 俺もマッサージのジェスチャーを繰り返す。 「でも、手遅れで……ごめんなさい……」 目から涙が溢れてきた。 俺が彼の死に関係あるのかどうかは、全く記憶がない。 が、少なくとも、彼が死んでしまっていることに違いはないのだ。 「……」 そっと俺の頭を撫でる手。 「な、何……?」 「……なかないで……」 そう言われても、そんなに優しくされたら我慢できなくなるじゃないか! 俺が思わず、声をあげて泣きそうになった瞬間、 更にもう一人、部屋に入ってきた。 「陛下?どうしたんだい」 年の頃は、小学生高学年くらいのちょっと中性的な顔立ちの男の子。 彼もまた中国の時代劇映画の宮廷の人みたいな格好をしている。 半ズボンだけど。 えー、何ですかね。これ。 映画の撮影現場ですか? コスプレパーティーですか? それとも、もしかするとやっぱり夢だったりするのでしょうか。 「……陛下?陛下!」 陛下? 陛下って言った! 彼は倒れているその男性を、確かに陛下と呼んだ。 やっぱり予想に違わず偉い人だったのか……。 「呂布!そいつを取り押さえろ。  殺すなよ。聞かなくちゃいけないことがたくさんあるからな!」 あっという間に俺は、呂布と呼ばれたさっきの女の子に組み伏せられた。 というわけで俺は今、縄で縛られて密室で尋問されてます。 呂布って呼ばれていた女の子はいなくなって、代わりに 目の前にはさっきの男の子と似たような子が九人増えて、 合計で十人になりました。 「正直に答えてもらおうか」 「どうやってここまで忍び込んだんだよ」 とても偉そうです。 「ごめん。忍び込んだとか言われても、気が付いたらここにいたんだけど、  そもそもここってどこ?」 とりあえず素直に答えてみた。 「お前、無礼な奴だな」 「ボクらが誰か知らないのか」 「うん」 またまた素直に答えてみる。 一瞬呆れた顔をした彼らだったが、 すぐに十人でビシッとアイドルグループみたいなポーズを決めて、声を揃え答えた。 「ボクたち十常侍!」 十常侍? そいや、さっきの子は呂布って言われてたし。 三国志? でも、十常侍というと、白塗りの小松の親分さんみたいなのが 「のほほほ。のほ、のほ、のほほほほほ」 って変な裏声で笑っているイメージなんだよなぁ。 それにさっきの子だって、呂布っつったって女の子だったし! 強かったけど。 でも可愛い女の子だったし! 「えーと十常侍って……?」 とことん素直になって聞いてみました。 「ボクたちを知らないのかい!?」 「どこの田舎者だよ!」 さっきのポージングのまま、顔だけでびっくりされた。 「身なりを見る限り、下賎のものとも思えないんだけどねぇ」 「田舎貴族の世間知らずのボンボンってところかな?」 「でも、この布地……見たことないよ。珍しいものだ」 「刺繍なんかもなかなか凝ってるよ。庶民ぽくないよね」 あー。 うちの制服って高いだけあってデザイン凝ってるもんなぁ。 「お前、何て名前だ?」 「一刀……北郷一刀だよ」 「生まれはどこだ」 「東京の浅草だけど……」 素直に答えたのに、何言ってるんだこいつっていう顔されたー! 「……とう……きょう……」 「……あさ……くさ……」 「あの……さっきも聞いたと思うんだけど、ここどこ?」 「……」 俺の質問を聞いて、眉をしかめた十人が顔を寄せ合って、ひそひそ話を始めた。 「ついでにどうして皆はそんな格好してるの?  映画の撮影現場か何か?  それともお金のかかったドッキリとか?」 うわ、さっきよりも胡散臭そうな目でこっちを見てる。 どうやら、ドッキリではなさそうだ。 うーん。 これは本格的に俺の日常じゃあない。 夢ではないのだとしたら、ここはおそらく日本でもない。 何だったらついでに、二十一世紀でもないと断言してもいい。 タイムスリップとか、パラレルワールドとか、そんな単語が似合う世界だと思う。 とーきーをーかーけーるーほんごー。 ……俺……どうなっちゃうんだろう。 なんてやってると、またひそひそ話が再開された。 「五胡の妖術使いか何かか?」 「張譲君はどう思う?」 「まさか、占い師の言ってた天の御遣いとかだったりして」 「まっさかー!」 「見てよ。あいつの持ち物、見慣れないものばっかりだよ」 「マジでー?」 「こいつみたいなうすぼんやりが、皇宮へ忍び込めるはずもないし……」 「そうだよねー」 「天の御遣いだとしたら、利用しない手はないかー」 さて、どうやら話はついたらしい。 「待たせたね。ボクたち十常侍が結論を出したから、  お前はそのまま黙って聞けよ」 「いや、待てよ。俺にも聞きたいことが……」 「いいから黙って聞けよ!  お前の聞きたいことっていうのは、後でたっぷり教えてやるからさ」 「……」 後でたっぷり教えてやる? ということは少なくとも、俺はすぐに処刑されたりしないということか? 俺が黙っているのを見て、にやにやと笑いながら、十常侍たちは言葉を続けた。 「でもまあ、色々知りたいだろうからねぇ……。  一つだけ先に教えておいてあげるよ。  お前がさっき殺しちゃったあの男はね。  名前を劉宏って言ってさ。  この漢の光武帝の尊い血筋を継ぐ皇帝陛下だったんだよ」 「つまり、お前は皇帝殺しの大罪人っていうことさ!」 「皇帝殺しともなれば、一族郎党皆殺しでも済まないほどの大罪だよ」 「処刑の仕方も、それはもう残酷極まりないものになるね」 「縛られたまま、獣に肉を喰らわれながら死ぬのがいいかい?  それとも焼けた鉄板の上で、悶え苦しみながら死ぬ方がお好みかな?」 そいつは勘弁して欲しい……。 けどまあ、そうなるかもな……。 こっちの世界には一族はいないだろうし、そもそも郎党なんていないから、 殺されるとしたら、俺一人っていうのが不幸中の幸いか? 現実は小説よりも奇なりとか言うけどさ。 異世界にいきなり飛ばされて、いきなり殺されるっていうのは 斬新すぎやしませんか? これが仮に小説だとしたら、こんな展開を考える作者なんてロクな奴じゃない。 どうせ小説なら美幼女少女熟女てんこもりの それ何てギャルゲー的なものの方が良かったなぁ。 またはフラン○書院文庫とか。 でも、悲しいけどこれ、現実っぽいのよね。 などと色々と考えてる俺の表情を、十常侍たちはにやにやしながら見ている。 趣味悪いな、あんたら。 「けど、ボクたち十常侍は、寛大にもお前の命を救ってあげることにしたよ」 さっきの「後でたっぷりと〜」っていう発言からもしかして……と 思わなくもなかったんだけど、実際にこうなるとは。 正直、驚いた。 「お前、さっき北郷とか名乗っていたよね。  けど、北郷っていう男には、この世から消えてもらうよ」 「……は?」 「黙って聞けよ。  お前は今日から漢の皇太子だ。  姓は劉、名は協」 劉……協……? っていうか皇太子って何だ! 「なぁに。お前は黙って、ボクらの言う言葉に肯いていればいいんだ。  それだけで命を救ってあげるだけじゃなく、衣食住まで与えてやろうと言うんだから、  ボクたちの優しさに、ありがたくて涙が出るだろう?」 「……」 「別に従わなくても良いんだよ。  その時はお前を縊り殺すだけだからね」 まるで遊び飽きた玩具を親に捨てると言われて、 それもういらなーいって答える子供のような無邪気さで 彼らはそう言った。 たぶん俺の命は、彼らにとって玩具みたいなものなんだ。 彼らにとっては玩具みたいでも、俺にとっては大事な命だ。 こんなところでいきなり、訳もわからないまま死ぬのは嫌だ。 情け無いと笑いたければ、笑っていただいて結構。 でも爺ちゃんが言っていたみたいに、 人の人生には必ず意味があるのだとすれば、 こんな世界に来たことの意味を俺は知りたい。 だから、俺は生きる道を選んだ。 劉協として生きる道を。