───人を狩ろう。 それも出来るだけか弱いのが良い。 女、子供───なるべく弱く、そして何より人に心に瑕を付けるような。 殺し方も考えねばならない。 可能なら、生皮を剥いでどこかの民家の屋根から吊るしてやると良いだろう。 良く目立つし、その方が恐怖心を煽れるのだから。 恐怖心が生まれれば厭戦気分が生まれ、それだけ早く戦乱が終わる。 そう。これは自分に与えられた責務なのだ。 自分は生粋の武人だ。与えられた命令を遂行する義務がある。 だから今日も人を狩ろう。 敵を怖れさせ、戦乱を終わらせれば───きっとあの人は自分のことをもっと褒めてくれる。 さあ、仕事の時間だ。 刀を振るおう。皮を剥ごう。腹を割こう。 全ては、孫呉の宿願のために。 「……酷いものじゃな。若い奴らを連れてこなかったのは正解じゃったの」 某日昼───建業の街の外れにある小屋の中で、祭は呟いた。 目の前には半ば腐乱した死体があった。 見たところ十歳程度。未来も希望も溢れていたであろう、その娘の遺体が横たわっている。 その上半身が───血で赤く染まっていた。 血が溢れ、肉が見え、そこに蛆と蝿が沸いて酷い悪臭を放っている。 凄惨極まりない殺人現場だった。 ……しばらく肉は食えんな。 祭は昼飯を食わないでここに来たことにほっとした。 今日の献立は、予定通りならチンジャオロースだ。 「祭様」 「む…思春か。どうじゃ?何か見つかったか?」 「いえ…残念ながら」 思春が無念そうに目を伏せる。 正義感の強い思春のことだ。今まで何か手がかりを見つけようと必死だったのだろう。 服が少し、埃で汚れていた。 「これで今月に入って五件目…か。なるほど、まあまあの手際じゃな。我が軍に誘いたいぐらいじゃの」 「…祭様!」 「冗談じゃ。許せ」 とはいえ、と。祭は改めて少女の死体を眺めながら、 「手口に多少の差異はあれど、全て残虐に痛めつけられて殺されておる。怨恨か物盗りか、それとも愉快犯か───」 「どちらにせよ、捕まえてみれば分かる事です」 「お主の言うとおりじゃの。ふん…怨恨に愉快犯、強盗か…」 ゆっくりと。 祭は少女の死体の前まで歩く。 一歩一歩、何かを確認するように。 「───もしかすると、そんな生易しい動機などではないのかもしれんぞ?」 「それでは…祭様はなんと?」 思春の問いに、祭は静かに答えた。 どこか底冷えのする、何の感情も篭っていない声で。 「“義務”じゃよ。狂った人間に与えられた───狂った任務を遂行するためのな…」 ここ数日、呉の首都である建業は、異様な雰囲気に包まれていた。 普段であれば南国故の陽気さで、居酒屋も屋台も夜遅くまで店を開けて酔っ払いを生産しているのに 夕刻になれば皆、固く扉を閉ざして店を閉めてしまう。 ───鬼が来る。 街ではそう噂されていた。 曰く、捕まれば残虐に殺され、往来にその亡骸をさらされる。 生きたまま皮を剥がれ、腸を喰らわれ、地獄を味わって苦しみ抜いた挙句に殺される───そんな化け物が出る、と。 最初は単なる噂と笑っていた人々も、犠牲者が十人を数える頃には誰も彼も皆黙って家で震えるしかなくなっていた。 精鋭を誇る城の兵士でさえ、夜の勤務に耐えられないという者も出て来ている。 只の噂は怪異となり。 それはもはや国の中枢ですら見逃す事の出来ないものと大きく成長していた。 「と、言う訳で何とかしないとダメなんだけど…どうしたものかしらね」 玉座に座る雪蓮が、居並ぶ将たちに問いかけるがその表情は暗い。 首都の治安の問題ということで、雪蓮たちも連日のように対策会議を開き、議論を交わしている。 ───問題はそれの効果があがっていないことだ。 下手人はこちらの警備の目を付くように犯行を行っている。雪蓮も何度か陣頭指揮に立ったが、結局見つけ出すことが 出来なかった。 ……きついわね、こういうのは。 先の見えない負け戦を続けているようなものだ。 成果の出ない戦いほど、人を疲弊させるものは無い。 「うぅん〜…流石にこれ以上人員を割く訳にもいきませんしねぇ〜」 「それに、悪戯に警備の兵を増員しては民の不安を招きますし…」 戦乱を勝利に導いた呉の頭脳二人ですら、疲労の色が濃い。 内政や治安を担当する軍師の二人は、ここ連日徹夜に近いはずである。 「しかし建業は広い───今の人員では、とてもではないが下手人を狩り出すのは無理だぞ」 「なるべく交代制にしていますが、いつまでも厳戒態勢を維持しているのは不可能です…」 「興覇ちゃんと幼平ちゃんの言う事も分かりますがぁ〜…人員も予算もめいっぱいですぅ〜」 「なればこそ。人員を増やして下手人の捕縛の可能性をあげるべきだろう!」 「しかし、これ以上国境線から兵を割けば国力の低下にも繋がります!」 堂々巡りの議論が続く。 客観的に見れば、お互いの主張はどちらも正しい。 犯人を確実に捕まえるならば思春の言うとおり兵を増やせば良い。それ自体はさほど難しくは無い。 戦乱時と違って、今の呉には多少の余力もある。 だが一方で亞莎の主張もまた然りであると雪蓮は思う。 戦乱は終結したが、大陸が完全に平和になった訳ではない。特に呉は数ある豪族を孫家が力で纏めている状態である。 魏のように法と秩序を持った中央集権型の政治体系が理想ではあるし、その体勢作りを進めているが、完全な形になるのは まだまだ先の話だ。 ……こういう時、冥琳が居てくれれば楽なんだけどね。 思わず、もはやこの世には居ない我が身の半身がいててくればと考えてしまう。 「止めんか二人とも。御前だぞ」 二人の議論が論争になる前に蓮華が間に入った。 最近はこうして早めに止めに入ってくれるので雪蓮はかなり楽が出来ている。 「とはいえ姉様…このまま手を拱いていては折角訪れた平穏を壊しかねません。早急に対処を考えなければ、 孫呉の沽券にも関わります」 「そうね。ここらで何か突破口が欲しいわね」 と、雪蓮はそこで初めて祭を見る。 この手の議論は活発に参加してくるはずの祭が、一人黙って腕を組んでいた。 「祭?あなたの所見を───」 「……」 「祭…どうしたの?」 「……同じじゃ」 「は?」 「同じじゃよ、策殿。あの時とな」 意味の分からない祭の言葉に、雪蓮が首を傾げる。 「あの、祭?同じってどういう…」 「───策殿ならご存知のはずじゃ。あの…鬼業の計をな」 「───っ!?」 雪蓮が驚愕の表情を浮かべた。 政務においてはあまり感情をださない雪蓮が。 孫呉の小覇王が驚愕の表情を浮かべたのだ。 それほどまでに、祭の言葉が強烈だったのだろう。思わず玉座から立ち上がり、 「あれは───母様の代で潰したはず。関わった者も私達を除いて全て皆殺しにしたはずよ?」 皆殺しというという言葉に、場にいる一同がぎょっとした顔を浮かべる。 雪蓮は厳格ではあるが苛烈な王ではない。その王の口から、皆殺しという言葉が出たことに皆驚いていた。 しかし、祭だけは変わらず平坦な声で言い放った。 「あれはまだ続いておるよ…。生き残った何者かの手で───いや、恐らく最悪な男の手でな」 「………」 「“あれ”を完全にしとめられんだのは儂の不覚───今度こそ…我が名に賭けて!」 祭はそう言うと雪蓮の座る玉座に背を向ける。 誰も皆、祭の気迫に押され、止める事も出来ずに退出するのを見守っていた。 鬼と化す───。 あの時の己はまさに鬼だった。 戦場ではない。ただ無辜の民を惨たらしく殺し、己の手を血で染めた。 街に這入り、攫い、殺し、そして晒す。 およそ人の身では出来ぬ所業。 だから───鬼になった。 ただの一つも動じず。 悲しみもせず、喜びもせず。 ただ己に課せられた任務として。 それはもはや人ではない。 狂った鬼───。 自分は───黄公覆は、確かにその時、人ではなく化け物だった。 「───おねーさま?祭おねーさまー?」 「ん……?お、おお!坊ではないか。どうしたのだ?」 「どうしたのだ?じゃないよー。ずっと呼んでたのにー」 「そ、そうか…。それはすまなんだな」 玉座の間を出てどのくらい歩いただろうか。 祭の足元にはいつのまにか一刀が居た。白い前掛けをつけて、袖を捲くっている。 かなり前から声をかけていたのか、その顔には少し不安そうな表情が浮かんでいた。 どうやら、考え事をしていて、声をかけられても気付かなかったらしい。 苦笑しながら一刀の頭を撫でてやる。 一刀───天の御遣いであり、今や孫呉の王子であり、祭にとっても我が子同然の存在である。 侍女の手伝いでもしていたのか、洗濯籠を抱えていた。 「坊…また侍女の仕事を取っておったのか?」 「取ってないよー?お手伝いしてただけー」 「それが取っておるというんじゃ。坊には坊の仕事、侍女には侍女の仕事があると言っておろう?」 「んー…でもー」 と、一刀は振り返って、 「恋おねーさまもやってるよ?」 一刀が指差した方向を見ると、恋がものすごい勢いで洗濯をしていた。 朝議に姿を見せないと思ったら、どうやら一刀と一緒に手伝いをしていたらしい。 ……あの布、あれはもう使えんな。 祭が見るところ、あれは思春の下帯のようだが、いまさら褌など履いている方が悪いと思うので あえて止めない事にした。 あれで思春は恋に甘いのだ。まあ褌の一丁ぐらいは許してやるだろう。 「で、それは良いとして。坊よ、儂に何ぞ用かえ?」 「んと…さっき玉座の間から祭おねーさまが出てきて…出てきて…」 「出てきて?」 「出てきて…あれ?僕なんで声掛けたんだっけ…?」 「なんじゃそれは」 「んー…なんでしょー?」 「阿呆。儂に聞くな」 ぐしゃぐしゃと、一刀の頭を乱暴に撫でてやる。 ……坊が気付いとらんはずはあるまいにな。 玉座の間から出てきた自分は相当厳しい顔をしていただろう。 聡い一刀がそれに気付かぬ筈はない。そしてだからこそ…何も言わずこうして笑っている。 「まったく…子供に気を回されるようでは、儂もヤキが回ったかの」 「ふえ?」 「何でもない。それより坊、腹は空いとらんか?」 「すいた!」 即答だった。そして、 「…すいた」 いつの間にかもう一人増えていた。 「なんと。欠食美女と欠食児童が3人もおる!よし!皆が帰ってこんうちに厨房に突撃じゃ!」 「おー!」 「…おー」 「皆の衆!我に続けぃ!」 そう言って、祭は厨房へと駆け出す。 ───これでいい。 一刀たちに血塗られた裏の過去を語る必要はない。 未来を作るものに、要らぬものを背負い込ませる必要はない。 鬼が招いた惨劇は───同じ鬼である自分が終止符を打てば良い。 その同類である自分は誰が止めてくれるのか。 その答えを、祭はまだ得ていなかった。 「鬼業の計…ね。またその名前を聞くとは思ってもなかったわ」 祭が退出した後、沈黙の続く玉座の間で、雪蓮の呟きがそれを破った。 「あの…姉様?その鬼業の計とはどのような…」 蓮華の問いに、雪蓮は暫くの間を置いた。 ……話さない、という訳にはいかないでしょうね。 幸いこの場には雪蓮の腹心と言える将と軍師しかいない。どこかから話が漏れる心配はないだろう。 「まだ蓮華が一刀と一緒ぐらいの時だから、もう十年以上も前になるわね…」 雪蓮は語りだす。 滔々と、まるで───罪を告白するかのように。 「鬼業の計──読んで字の如く、鬼の所業を成す。……その内容はね、街や村に潜入して無差別に住民を殺す事」 「なっ…!?」 「それも───なるべく女子供を狙い、惨たらしくね。そうして住民や兵たち恐怖心を植え付け、降伏させることが目的よ」 余りの内容に皆の顔色が変わる。 それは───人のすることではない。 「し、しかし…それが今回の事件について何の関係が?」 「母さんの時代───孫呉にはそれ専門の部隊があったわ。精鋭ばかりを集めた、ね」 「で、ですがぁ〜私も蓮華様も興覇ちゃんも…みんなそんなこと知りませんでしたよぉ?」 「言える訳ないでしょこんな事。極秘中の極秘───実行していた部隊以外は、私と母様…それに冥琳ぐらいしか知らない事よ。 それに、蓮華だってまだ幼かったし、私だって直接現場を見たわけじゃないもの。ただ……」 ───そのようなことまでしなければ、とてもこの地は纏まらなかった。 南方の地は肥沃で豊かな場所が少なくない。沿岸部などは古くから交易の拠点となっている場所もある。 当然、豊かな土地は略奪と簒奪の対象になる。地方の有力者はこぞって戦を繰り返し、攻め入り、逆襲し、泥沼と果てるまで 突き進む。そして多くの民がその生贄として捧げられ、行き場を失った民は生きるために土地を奪い合う。 終わる事のない負の連鎖───それが孫家の祖、江東の虎───孫堅の登場した時代である。 「もちろん、母さんがそんな残虐な事を望んでいた訳ではないわ。でも…そこまでしないと、江東を初めとした呉の地は収まらなかった」 当時、江東一帯には多くの宗教勢力が存在していた。 邪教、異教───今の雪蓮たちからみれば、どれも大同小異の小物たちだが、その分狂信者と成り易い。 相手は教義を妄信し、死を恐れない。時には阿片や芥子の力を借りてこちらに挑んでくる。 だからこそ、孫堅は自分たちに手向かう者を徹底的に排除した。容赦なく殺し、燃やし、晒した。 穏便な解決など、時代が許さなかったのだ。 「そういう戦の中で生まれたのが鬼業の計───部隊は単純に『鬼』とだけ言われていたらしいわ。その活躍は目覚しく 各地の村で存分に成果を挙げた…」 自分で言いつつ、心の中で嫌悪する。本当であれば、こんな事を話たくはない。 だが───雪蓮は王として目を背けることは出来なかった。名前が出てしまった以上、向き合わなければならない。 「で、ですが…それが今回の事件と何の関係が?確かに母様のやったことは…その、苛烈でしたが、もう過去の話なのでしょう?」 「そうね。確かに蓮華の言うとおりよ。これは過去の話───部隊も解体され、関係者も話が漏れない様に全て処断にしたって聞いてる。 ……当時の隊長と副隊長の手でね」 「隊長と、副隊長……?」 「一人は韓当という男。そして、もう一人は───」 言うべきか言わざるべきか……雪蓮は少しだけ悩んだ後、その名を口にした。 「黄蓋……祭よ」 その夜、祭は一人城内を抜け出し、町に下りていた。 鋼鉄の手甲に長剣───さらにいつもと違う漆黒の戦装束を身にまとっている。 一人夜道を歩きながら、祭は思い出す。あの最後の時を。 鬼に成った男が泣きながら笑っていた事を。 「殺して下さい。隊長」 最後に残った鬼が二人。 かつての仲間の血の海で、剣を打ち合い、殺し合いながら最後にあの男はそう言った。 「殺して下さい。俺は狂ってるんです」 最後の理性で、あの男は自分に訴えた。 だが祭は───あの男を、韓当を殺せなかった。 「儂の甘さ故の不手際、か。もはや過去の話とはいえ、つくづく自分の無能さが嫌になるのう」 闇の中、祭は抜き身の剣をかがり火に照らしながら答える。 今宵は新月。狂った鬼が獲物を攫うのには丁度良い時分だ。 ……いや、鬼は儂も同じか。 ならば鬼同士、死ぬまで殺し合うのが道理。 過去に生きる化け物は同じ化け物が始末するのが一番だ。 祭の脳裏に、一人の子供の姿が浮かぶ。 自分に子を持つ母を感じさせてくれた、愛しい子。 故に今一度、自分は鬼に成ろう。 化け物を討つために化け物になろう。 「出て来い韓当───儂とお前、化け物に平和は似合わん。死ぬまで狂い、殺し合い、のたれ死ぬのがお似合いじゃ」 剣を握り直し、祭は歩く。 己が討つべき“獲物”を探して。 (後編に続く)