呉ちんこさん外伝 南好日和アフター 蜀編「交遊日和」 その日、璃々は祭りに賑わう往来を見ていた。 今日は祭りの最終日で、それなりに人も多い。璃々も先ほどから何度も 人にぶつかりそうになっていた。 ではその往来の中で立ち止まっている璃々は何をしているのかというと───人を待っていた。 広場の彫像の前。それが一刀との待ち合わせの場所だった。 長い戦乱の終わりを記念して立てられた彫像だというが、璃々には興味が無いし、街の人たちも同じだろう。 ただ、待ち合わせの場所としては便利だった。 璃々は戦争のことを良く知らない。その頃はまだ何も知らない年頃だったし、母もあまり語りたがらないから。 もっとも、城にいれば嫌でもその類の話は聞くことになるが。 璃々がぼんやりとそんなことを考えていると、 「お待たせ、璃々おねーさん」 声を掛けられた。傍に立っていたのは、待ち合わせの相手である一刀だ。 「おっそーい。女の子を待たしちゃダメだよ?」 「にゃはは…ごめんなさい」 笑いながら、一刀は頬を掻いた。 璃々も苦笑しながら、立ち上がって一刀の手を握る。 「ま、案内してあげるのは璃々だし…今日のところは許してあげましょう」 「ほんと?」 「お団子一つで♪」 「むむっ…それは高いかも…」 そう言ってお互いに微笑み合う。 今日は晴天。絶好の交遊日和だった。 あの武術大会から三日───事後処理に追われる慌しい数日が過ぎ去り、一刀たちが 蜀を発つ日が近づいていた。 本来であれば武術大会が終わればすぐにでも蜀を発つつもりだったので、一刀たちにとっては 誤算と言っていい。 それほど急ぐ旅ではないとはいえ、身分を隠してるという事情故に、あまり長居も出来ない身である。 そんな訳で、一刀たちはすぐにでも出発するつもりだったのだが、とある事情によってそれは先延ばしになっていた。 「国境線まで護衛を付けさせて頂きたいのです」 一刀たちの前で、孔明がそう告げたのは昨日の事である。 「仮にも我が国に入り込んだ刺客を討ってくれた恩人を、護衛もつけないで送り出すのは我が国の沽券に関わります。 せめて国境線までは…お願い出来ませんか?」 本音としてはこちらの行動を監視するためだろうが、一刀たちは二つ返事で了承した。 何せ、そのために馬車や食料まで用意してくれるというのだ。少々の監視が付くぐらいは十分な対価と言えた。 路銀は十分にあるが、節約するに越した事はない。 「別にケチになる必要はないがな。まあ、別に不都合もあるまい」 とは思春の言だが、一刀としてはタダで足とご飯が手に入るということで、得した気分だった。 (という訳で、旅に出ちゃう前に、その…ちょっとお出かけに誘ってみたんだけど…) 璃々は並んで歩く一刀をちらりと見る。 いつものほえほえとした笑顔で、手には肉まんを─── 「って!いつの間に肉まん!?」 「うん。さっき屋台のおじさんに貰った」 「も、貰ったって…お金は?」 「いらないって。良い人だねー♪」 「だねー♪…じゃない!もう!」 璃々はハンカチを取り出して、少し汚れている一刀の口の周りを拭いてやる。 一刀は「んー」とされるがままに、目を細めた。 ───まったく…。 と、璃々は心の中で溜息を吐く。 折角のお出かけと言うのに、相手が花より団子では立つ瀬がないではないか。 璃々は今日の自分の服を思う。 薄紫のちょっと丈の短いチャイナドレス───これは母の紫苑が選んでくれた───に、後ろに二つお団子で 纏めた髪、それに良い匂いのする香に、青く綺麗な宝石をあしらった首飾り。 特にこの首飾りは、 「それは恋する乙女の願いを叶える宝石なの。ふふっ…璃々がふさわしいと思う相手にあげちゃいなさい」 と紫苑が渡してくれたものだ。 (こ、恋する乙女の願いって…) ───例えば、口付けとか。 そこまで考えて、璃々は自分の顔が赤くなるのを感じた。 同時にここまでおしゃれして来てるのに、感想の一つも言ってくれない一刀に少しムカっとする。 「むー…どうせ璃々より肉まんの方がいいんでしょ…」 「ふえ?」 「な、何でもない!…それより、一刀はどこか行きたいところってある?」 璃々としてはそこが聞きたかった。 成都はそれなりに大きな都市だ。旅人の一刀にとっては珍しいものも多いだろう。 一刀に対する好意───というのももちろんあるが、なにより璃々は自分が育った街の魅力を知ってもらいたかった。 「んー…とりあえず、やt」 「屋台、って言い出したら怒るからね?」 「…ダメ?」 「さっき肉まん食べたでしょ!んもう、他にもいろいろあるんだよ?」 祭りの最終日という事で、催し物もたくさんある。 魏から来た芸人による歌の演奏会、それに演劇や各種大道芸などなど…。 確かに武術大会は祭りの中でも一番大きな規模の催しだが、他にも見るべきものは山ほどある。 璃々にそう説明された一刀は、ふーんという顔で軽く顎を撫でた。 「それじゃあ、璃々おねーさんにお任せしよっかな?」 一刀は成都の地理に疎い。 ここは璃々に任せていた方が得策だろう。 「あはは、そう言うと思った。んと、それじゃあ…」 そう言って、璃々は一刀の手を引いていく。 二人は徐々に祭りの喧騒に紛れていった。 一刀たちが祭りを満喫していたその頃。 思春と恋は成都の王城に居た。 ───いや、正確には連れて来られたと言うべきか。 目の前には酒と料理。つまりは宴会に招待されたという事である。 「気になる…」 杯を傾けながら、思春がぽつりと呟いた。 気にしているのは当然、一刀の事だ。先日の刺客の襲撃からまだ間も経っていない。 肩に受けた傷もまだ完治してはいないのだ。 それなのに、璃々に誘われるまま一刀はフラフラと出かけてしまった。 それ自体は悪い事ではない。他国の風情を知っておくのも良い勉強になるだろう。 傷も完治してないとは言え、浅傷である。戦闘をしなければ十分出歩いても問題はない。 では思春が何を気にしているのかというと─── 「……一刀、モテモテ」 「言うな。まったく、どこで教育を間違えたのか…」 英雄色多し───という訳ではないが、一刀は仮にも孫呉の王族である。 色恋沙汰がそのまま国の命運を左右する場合もあるのだ。 思春も、国にいる皆も、そこまで一刀を束縛するつもりはないし、個人的な事を言えば 璃々のことは思春もそれなりに気に入ってはいるが、こと国事となると、それとこれとは別である。 「旅の一時、というのであれば良いがな。もしもそうでなければ───」 「あらあら、良いではないですか♪」 思春の言葉を遮るように、目の前に料理が置かれる。 脇で微笑むのは、黄忠───紫苑だった。 「小さな二人の小さな恋……旅の一時だとは解っていても、二人の情熱は燃え上がり───ああ、璃々…」 「…自分の娘で何を想像しているのだ」 思春は呆れた様に溜息を吐く。 「まあ、あっちは若い二人にお任せして、私達はお酒を楽しみませんか? 呉の名将───鈴の甘寧と、天下無双の呂布と同席出来る機会なんて、そうありませんもの」 「……やはりバレていた、か」 ここまで目立ったのだ。 思春も、もはや隠そうとはしなかった。 「戦場で共に戦った相手はそうそう忘れませんもの。ふふっ…」 そう言いながら、紫苑は艶かしく杯を傾ける。 女の思春でも、思わず顔が赤くなりそうなしぐさだ。 「それに…こうして酔わせてしまえば、お邪魔も出来ないでしょう?」 「最初からそれが目的か…って、貴様!何を!?」 「うふふふふ…こちらはこちらでしっぽりと…」 紫苑が腕を絡ませてくる。 少し酒精の入った吐息が首筋に当たり、ゾクリと震えが走った。 「待て!何故そんな展開になる!?貴様、酔っているな!?」 「旅の一時は男性だけではありませんよ?まあ、私も本当を言えば男性の方がいいのですけど…」 「だったら止めんか!大体、私にそんな趣味は…恋ーー!見てないで助けろー!」 「…むり」 こちらはこちらで騒がしかった。 鐘が鳴る。 午後の始まりを告げる鐘だ。 少し早めのお昼ご飯を屋台で食べた璃々と一刀は、祭りで賑わう往来を歩いていた。 「それでね?あの時、ばーってお花が舞って…」 璃々が一刀の横で、先ほど見た演劇の感想を喋っている。 余程面白かったのか、終わってからも興奮が収まらないようである。 「んもう!一刀ったらちゃんと聞いてるの!?」 「聞いてるよー?うんうん、僕としては、あの途中で出てきたお団子が…」 「そっちじゃないー!」 璃々はぷくーっと頬を膨らませて怒る。 ───もう、一刀ったら! だが、璃々は不思議と悪い気はしなかった。 「じゃあ、次はあっちの…ふえ?」 そうして璃々が次の場所に行こうと、一刀の手を引いた時─── ふと、一刀が立ち止まっていた。 一刀の視線の先。 路地裏の片隅で、猫が死んでいた。 誰か心無い者に斬られたのか、それとも事故か───。 首筋から血を流して、死んでいた。 「あ……」 さらに璃々は気付いてしまう。 死んだその猫に、寄り添うようにして鳴き声を上げている仔猫の存在に。 きっと親子だったのだろう。もはや動かない母猫に構ってもらいたいのか、ペロペロと その顔を舐めている。 ───嫌なものを、見てしまった。 璃々は慌てて視線を逸らす。 成都は大きな街だ。こんな街中で猫の死体を見るのは珍しいが───それほど異常なものではない。 璃々も可哀想だとは思うが…湧いてきた感情は、ただそれだけである。 故に早くここから立ち去ろうと、一刀に声を掛けようとして、 「あ、あれ…?」 横に居たはずの一刀がいない。 慌てて璃々が探すと、一刀はいつのまにか仔猫の傍にかがんでいた。 「な、何してるの!そ、そんなの…」 「…そっか。やっぱりお前のかーさまなんだね」 「にー」 一刀の言葉に反応するかのように、仔猫が鳴いた。 まるで会話をしているみたいだと、璃々は思った。 「か、一刀…?」 「んと、璃々おねーさん。ここら辺であんまり人がいないところってある?」 「へ?えーっと…街から少し行った所に河原が…」 「うん。そこがいいかな」 そう言うと、一刀は仔猫を肩に乗せ、その手に死んだ親猫を抱えて歩き出す。 璃々は、あうあうと言いながら、しぶしぶその後をついて行く。 成都郊外にある河原は璃々のお気に入りの場所である。 静かな景観と、穏やかに流れる川の音が静かに心を癒してくれる───そんな場所だった。 もちろん今日の行動予定にも入っていて、最後にここで…というのが璃々の理想なのだが、 「これでよし、と」 河原の大きな石の前に屈みこんでいた一刀が立ち上がる。 璃々は後に立っているのでよく見ていないが、死んだ親猫をそこに埋めてやったのだろう。 一刀は川で手を濯ぐと、仔猫を肩に乗せたまま、どっかりと璃々の横に座った。 「ごめんね璃々おねーさん、付き合わせちゃって」 「へ!?あ、えと、だ、大丈夫だよ!気にしてない気にしてない!」 「にゃはは…ありがとう」 「はう…」 にっこりと笑う一刀を見て、また璃々の顔が赤くなる。 そのまま、しばらく沈黙が続いた。 一刀はじゃれてくる仔猫を指先であやし、璃々は風で揺れる木々のざわめきに耳を傾ける。 穏やかな時間が、静かに過ぎていく。 「あ、あのね一刀…もうちょっと成都にいない?」 どのぐらい経っただろう。ふと、璃々がそう切り出した。 「んー?」 「その…も、もう少しだけ…そんなに急ぐ旅じゃないんでしょ?」 「んー…まあねー」 「じゃあいいじゃない。なんなら、ずっとここで…」 そこまで言った時、璃々はふと一刀が遠い目をしているのを見た。 どこかここではない───遠く離れた場所を見ている目。 その目を見て、璃々は悟ってしまった。 きっと、自分では一刀を捕まえておくことは出来ないと。 一刀の心の中には、たぶん自分以上の誰かが居て。 そこが一刀の『帰る場所』なのだということを。 たぶんそこに璃々は映っていない。 それが───分かってしまった。 ざあっと、一際強い風が舞う。 「……んしょっと」 一刀が立ち上がり、璃々の前に立った。 「璃々おねーさん、もう一つお願いしてもいいかな?」 「へ?う、うん…いいけど…」 「こいつ、預かっておいて」 そう言うと、一刀は肩に乗せた仔猫を璃々に渡す。 仔猫は璃々に抱きかかえられると、甘えるように身を摺り寄せてくる。 「でも、一刀…また旅に出ちゃうんじゃ…」 「うん。だから───ちゃんと会いに来るよ」 それまでお願い、と。一刀はいつもの笑顔で言った。 璃々も思わず笑ってしまう。 何故だろうか。勝手な押し付けだというのに、不思議と嫌な気分はしなかった。 「んーそれじゃあ、璃々もお願いしていい?」 「ふえ?なぁに?」 「璃々のお守り。預けておくから、ちゃんとまた会ったときに返してね?」 璃々は青い宝石の首飾りを一刀に渡す。 乙女の願いを叶えてくれるという首飾り。だから璃々は願った。 また会えますようにと。 それは───少年と少女の、忘れられない小さな約束だった。 数年後、一刀と璃々は再会を果たす。 それは一刀にとって驚きとそして新しい物語の始まりでもあったが─── これはまた、別の話である。