一刀が舞台上で無顔と相対していた頃。 思春たちは、会場から少し離れた場所で戦闘を行っていた。 璃々が捕らわれていると思わしき屋敷の中には十人ほどの武装した男達が居たが、 並の相手に二人が遅れを取る訳もなく。 内部に踏み込んでから僅か数分、その間に全てを叩きのめしていた。 「あっけないな…。この程度か」 刀を収めながら、思春が言った。 蝶の仮面を付けた女に言われて、ついさっきここに踏み込んだのだが、 中に居たのはチンピラ風の男たちばかりだ。 璃々の姿は見当たらない。 「……騙された?」 「いや───確かに胡散臭い相手ではあったがな。わざわざこちらを騙す理由がない」 こちらと敵対しているならば、昨日の襲撃の時点で加勢したりはしないだろう。 他に狙いがあるとも考えられるが、この程度の戦力で自分達を如何こう出来るとは、 向こうも考えてはいないと思春は思う。 「とはいえ、ここにいないとなると…」 と思春が言いかけた時、ふいに殺気が背中を走った。 刹那の間で腰の刀を抜き、振り返りざまに背中に飛んできた『それ』を刀身で弾く。 ───キィンと。甲高い音が室内に響く。 「針…?」 思春は足元に落ちたそれを拾い上げる。 少し長めの細い針だ。先端が青く染められているところを見ると、どうやら毒入りらしい。 「……どうやら“当たり”の様だな」 同時に思春の周囲に無数の針が飛来する。 気配を察し、後ろに飛んで回避した思春の居た場所に無数の針が突き刺さった。 「恋!何人だ!?」 「二階に二人、そこの柱の影に三人…来る」 恋がそう言うと同時に右側の柱の影から、黒尽くめの男達が飛び出してきた。 手には昨日の刺客たちと同じ刀を持っている。 こちらに攻撃を仕掛けてきたのは五人全て。 「…殺!」 低い声と共にまったく同じ間で攻撃を仕掛けてくる。 飛び上がりながらの上段が二人、這うように放たれる下段、そして両側面から。 並の相手であれば、確実に殺すことの出来る連携。 「……遅い」 だが、刺客たちの前にいるのは『並の相手』ではなく。 「喚くな、下郎」 二人は背中を合わせ、まずは左右から来る敵を迎撃する。 恋は矛を、思春は刀を相手の刀に合わせ、勢いのままに跳ね上げ、 返す刀で開いた胴に刃を突き入れた。 血飛沫が、二人を紅く染める。 同時に上下から刺客が迫ってくる。普通であれば、ここで勝負が決まっている。 思春も恋もそちらに武器を構える間がない。だが、それはあくまでも普通であれば、だ。 瞬間、恋の矛の石突が跳ね上がった。 恋の視線はそちらを見ていない。感じる気配と殺気だけで上から襲ってくる相手の刃を止めていた。 そして思春も動いている。 下からこちらの脚を斬りに来た刺客に相対すると、 「───!」 同じく這うように姿勢を低くし、鋭い息吹と共に深く踏み込む。 薙いだ刃が刺客の両腕を落としていた。 それと同時に恋がクルリと身体を回し、 「……」 未だ空中にいる相手の首を、同時に跳ね飛ばした。 僅か数瞬。それはまるで舞踊を踊るように。 五人の刺客が、血の海に倒れていた。 「昨夜の借りは確かに返した。さて…」 思春は両腕を失って倒れている刺客に近づいていく。 本当なら頚を跳ね飛ばして即死させる事も出来たが、あえて両腕を飛ばす程度にしておいたのは 尋問をするためだ。 何故人質を取ってまでこちらを狙うのか。 背後に誰が居るのか。 それを聞いて、それを叩き潰すのが思春たち近衛の仕事だ。 「全て吐いて貰うぞ。最初に言っておくが───私はこういう事が専門でな。容赦はしない」 目の前で脅すように思春が血に塗れた刀を目の前にちらつかせる。 だが、それを見ても刺客は何も答えない。 荒いを息を吐いて、仮面の奥の瞳からこちらを睨んでいる。 「そうか。…それでは答えたくなるようにしてやろう」 そう言うと、思春は刺客の足首を斬りつける。 脚の腱を斬ったのだ。刺客が悲鳴を上げた。 「どうだ?答える気になったか?」 「……」 「まだその気はない、か。───ふんっ!」 「……!!」 斬れた腕の傷口を思い切り踏みにじる。 血が噴出し、あたりに血の匂いが充満するが、思春は顔色一つ変えずに尋問を続ける。 「もう一度言うぞ?貴様の───」 「………せか、の…かい…ほう…」 「む…?」 「世界の…解放を!」 瞬間、思春の直感が警告して来た。 刺客というのは影の存在だ。任務に失敗した場合、その存在そのものが汚点となる可能性が高い。 故に、良く訓練されてる暗殺者は自決用の毒薬を身につけてる場合が多い。 今刺客には腕がない。 ならば、自決用の毒薬を隠す場所は一つ。 口の中である。 「───ちぃ!」 思春は乱暴に刺客の顎を掴んで、口に手を突っ込もうとする。 だが、刺客は頑なに口を開けない。 やがて───刺客の身体が弛緩し、目が裏返る。 「くそっ…!やられた!」 乱暴に刺客の死体を投げつけ、思春は唇を噛む。 結局、何の情報も引き出せなかった。 「……思春、それより」 「…ああ、分かってる。璃々を探すぞ」 思春は一度だけ舌打ちをすると、奥に見える部屋に向かって歩き出す。 広い屋敷だ。璃々がここに居る可能性はそれなりに高い。 「この上、あの子まで失っては一刀に面目が立たんからな…」 思春は心中で一刀を思う。 今頃、試合はどうなっているのか───それが、心配だった。 武術大会の会場。そこは今、異様な雰囲気に包まれていた。 勝負が決まろうとした時、突然登場した華蝶仮面。 それまで歓声を上げていた観客が、皆息を飲んでそれを見守っていた。 「ふふふ…やはり主役は最後に登場するものだろう?」 「何故…邪魔をするのです?」 「ほう、おかしな事を言う。正義の味方が悪を成敗するのに、理由が要るとでも?」 そりゃ要るだろう!と、観客が思わず突っ込みを入れるが、 華蝶仮面は相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、矛を構えた。 「何者かは知らんが…この混乱の都を守るものとして、貴様のような危険な奴を野放しに しておくほど甘くはないのでな」 「くくく…ふははははは…危険、なるほど、危険ときましたか!」 「…何が可笑しい?」 突然笑い出した無顔に、華蝶仮面が眉を顰め、警戒を強める。 無顔は暫く笑っていたが───ふいに、それを止めた。 「危険…そう、危険な存在ですよ」 そう言うと、無顔は懐から黒い塊を取り出し、 「そこにいる子どもは…我々この世界に生きる者全ての敵なのですから!」 それを地面に叩きつけた瞬間、辺りを眩いばかりの閃光が包んだ。 「───っ!」 一刀はとっさに腕で目を覆ったが、それでも至近距離に現れた光を防ぎきれず、 視界が白く染まる。 (まずい───!) 一刀は立ち上がり、後ろに転がるようにして下がった。 目の前を刃が通り過ぎていく音と風を感じる。 だが今のをかわせたのは偶然の良いところだ。次は───確実に殺られる。 「少年!右だ!」 華蝶仮面の鋭い声に、一刀は今度は右に飛ぶ。 今度もまた、紙一重でかわせていた。 「はぁ…はぁ…!」 視界は徐々に戻ってきているが、それでも殺意を持った相手を相対するのには致命的な弱点だ。 緊張と恐怖で息が上がり、身体が震えてくる。 視界を奪われるということが、これほど心を揺らすとは思っていなかった。 「そちらのお嬢さんには、私の部下達の相手をして貰いましょうか」 ピィィィと甲高い音が響くと同時に、観客席の方から悲鳴が上がった。 「ほらほら、早くしないと───観客が物言わぬ血袋になりますぞ?」 「……下衆が!」 華蝶仮面の気配が遠のいていく。 どうやら、観客席の方に向かったらしい。 「さて、では私はゆっくりとあなたのお相手をさせて頂きましょう」 無顔が剣を握り直す音が聞こえた。 こちらの視界はまだぼやけたまま。僅かに相手の影が見えるぐらいだ。 せめてこちらもまともな武器があれば良いのだが───刃引きの剣では、無顔を止める事は出来ないだろう。 さらに体力も限界に近い。 絶体絶命───それが一刀の置かれた状況。 「あなたを屠ってこそ、我々は解放される…。そして再び戦乱を!『正しき歴史』に戻すのです!」 無顔の声に狂気が帯びていく。 その手に持った剣が振り上げられ、 「死ねぇ!世界の歪みぃ!」 一刀の身体に刃が落ちてくる。 だが、一刀にそれを防ぐ術はなく─── 「───っ!」 心に悔しさが満ちる。 こんなところで殺される自分の未熟さと───何より大好きな人たちとの約束を破る事が悔しかった。 そして、心の中に諦めが広がった時、 「かずとぉーーーーーーー!!!」 ふいに、声がした。 聞き覚えのある、女の子の声。 「頑張れぇーーーーーー!!!」 はっきりと。その声が耳に届く。 その声を、一刀は知っている。 蜀に着いた時、初めて知り合った少し年上の女の子。 ───璃々の声が、一刀の心にあった諦めを吹き飛ばした。 「……っ!」 一刀は手に持った刃引きの剣を構える。 今からでは受けるのは間に合わない。故に、 「あああああああ!」 一刀は前に出た。 無顔に体当たりをするように、剣を真っ直ぐ無顔の腹に突きつける。 「───ちっ!まだ動けましたか!」 無顔は構わずそのまま剣を振り下ろすが、密着状態では自由に剣を振るうことは出来ない。 斬撃は一刀の肩を浅く切り裂いただけだった。 だが、それで一刀の突きの速度が鈍る。 無顔は紙一重で一刀の突きをかわし、手に蹴りを入れて剣を叩き落す。 「終わりです……!」 「終わって…たまるかぁーーー!」 剣を落とした一刀は、無顔の肩に飛びつく様に腕を掴む。 そこには───華蝶仮面が突き刺した剣があった。 一刀はそれを掴むと、そのまま無顔の腕を切り裂いていく。 「がああああああ…!!!」 無顔が悲鳴を上げ、力任せに一刀を引き離そうと腕を振るう。 一刀はそれに抵抗せず、無顔の近くに着地すると、 「いっけーーーー!」 今度はその身体を目掛けて。 刃を深々と突き入れた。 手に柔らかな弾力と、肉を切り裂く感覚が伝わる。 「がっ…!この、ガキぃ…!」 無顔が腹に剣を生やしたまま、一刀の服の襟を掴む。 手に持った剣で、一刀を突き殺そうとするが、 「させん…!」 横合いから飛び出してきた影に、腕を跳ね飛ばされ、 「……っ!」 さらに、後ろから来た影に、頚を飛ばされる。 それで、無顔は絶命した。 「大丈夫か、一刀!?」 「し、思春ねーさま…に、恋ねーさま?」 飛び出して来たのは、思春と恋だった。 どうやらギリギリのところで駆けつけてくれたらしい。 「すまん、遅れてしまった…!すぐに傷の手当を!」 「そ、それは大丈夫。それより…」 と一刀がそこまで言い掛けた時、一刀に向かって駆けて来る者がいた。 息を切らせて走ってきたのは璃々だった。 「一刀ぉ!」 「にゃ、にゃはは…璃々おねーさんのお陰で、助かったかも」 「馬鹿…馬鹿ぁ!すっごく、心配したんだからね!」 「…ごめん」 泣きじゃくる璃々のを抱きとめながら、一刀は優しく微笑んでいる。 こうして───波乱に満ちた武術大会は幕を閉じた。 「んー…快晴、快晴。ほんと、良い旅日和だよねー」 一刀は馬車の荷台の上で空を見上げている。 蜀を経ってから早一週間───漢中に入り、今は魏へ向かっている途中である。 「…怪我をしているんだから、大人しく寝ていろ」 御者台に乗る思春が窘める様に一刀に言った。 「んもう、ちょっとぐらい良いじゃない」 「ああ。ちょっとぐらい死にそうな目に合わんと、お前は学習しないからな」 「で、でもさ…そのお陰で、この馬車貰えたんだし。おまけに劉備さんから紹介状も貰えたし…ね?」 あの武術大会の後───今回の騒動の功労者として、劉備に謁見した一刀たちは、 その褒美として馬車と関所の通行書、そして魏の曹操への紹介状を手に入れていた。 そのお陰で、こうして魏に向かうことが出来るのであるが、思春としては、他国の王から施しを受けるのが どうにも気に食わないらしい。 「まったく、そんなもの本来なら必要ないというのに…」 「にゃはは…まあ、終わり良ければ全てよし、かな?」 「……恋もそう思う」 「甘やかすな。…ところで、璃々とはちゃんと別れを済ませてきたのか?」 「うん。まあ…ね?」 思春に問われ、一刀は言葉を濁しながら頷いた。 「どうした?お前にしてはやけに言葉を濁すじゃないか」 思春が茶化すように聞いてくる。 「そんにゃことないよー?ただ…」 「ただ?」 「うん。実は…こんなの貰っちゃって」 そう言うと、一刀は懐から鎖のついた首飾りを取り出した。 青い大きな宝石が据えられ、その周りを金の淵が飾っている。かなり高価なものだ。 「これは…」 「なんかね、またちゃんと元気に会えますようにっていうおまじないなんだって」 「おまじない…まあ確かに間違ってはいないが…」 思春は困ったように言葉を濁す。 ただのおまじないに、こんな高価なものを渡すとは思えない。 ならば答えは一つだ。 これは───愛の告白、その類のものだろう。 「……一刀、モテモテ?」 「まあ、あいつは鈍感だからな…」 思春は溜息を吐いた。 一刀は相変わらず荷台に寝転がって空を眺めている。 「さて、魏にはどんな人たちがいるのかなー!」 蒼天と太陽が大地を照らす。 旅路は、果てまで続いていた。 後年───孫郷こと、北郷一刀が嫁を迎える年齢になった時。 蜀から来た美少女が呉の城まで押しかけてくるという事件があり、 孫家を揺るがす大騒動に発展するのだが───これはまた、別の話である。