様々な思惑を内包しながら、祭りは進んでいく。 武術大会も順調に進み、予選が終わる頃に丁度昼になった。 大会はここで一時中断。 各自、昼食という事になった。 「璃々がいない?」 一刀の言葉に、木にもたれかかっていた思春が怪訝な声で言った。 今は大会の合間の昼休憩。一刀たちはこうして通りのはずれにある木の下で弁当を広げていた。 この場にいるのは三人だけ。 一刀に思春、それに恋である。 「んー…確か璃々おねーさんも来るって言ってたんだけどにゃー?」 一刀は不思議そうに首を傾げながら言った。 確か、昼ごはんは一緒に食べようと約束したはずである。 「まあ、あの子も貴人の娘だ。突然予定が変わる事もあるだろう」 「でもでも、何の連絡もないのはちょっと変じゃない?」 ふむ、と思春は考え込む。 見た限り、璃々はそれなりに律儀な性格だった。予定が変わったのであれば、 連絡の一つもよこしてくるとは思う。 もっとも、今の一刀たちはただの流れの旅人という身分にしてある。 向こうにとってみれば、取るに足らない相手と言えばそれまでだろうが。 「とりあえず、後で探してみよう。それより…」 と思春がそこまで言った時、人の気配がした。 振り返ると、黒い男が立っていた。顔には笑顔を浮かべ、丁度思春たちの影になるように 陽を背にして立っている。 腰に剣を佩いているところを見ると、この大会に出てきた剣士なのだろう。 特に装飾のないその刀は、実戦で使い込まれた証として鞘の方々に傷が付いている。 「やあ。あなたが噂の少年剣士くんか」 軽い調子でこちらに挨拶をして来たその男を、思春はそれとなく観察する。 顔に笑顔を浮かべているが、どこか声にも笑顔にも人間味というものがない。 挨拶の調子も酷く冷たく聞こえる。 (この男…) 思春は一刀の横に控えながら、表には出さず警戒を強めた。 普通に挨拶をしに来た、というには妙な点が多すぎる。 目の前の男が万が一刺客であれば、いつでも叩き斬る腹積もりであった。 「……」 恋もそう同じ事を考えていたのか、一刀の横に並び、男と相対している。 その手には矛。こちらは露骨な警戒を表に出していた。 「いやはや、警戒されたものですなぁ。あ、ワタクシ次にお相手致します…まあ無顔とでも呼んで下さい」 そう言って、一刀にペコリと頭を下げる。 「無顔、さん?んー…こっちこそ、よろしくお願いします!」 同じく一刀も頭を下げた。 「はっはっはっ…しかし、その歳で大の男を相手取っての大立ち回り。いやはや、将来が楽しみですな」 私など相手になりませんかな?、と。無顔と名乗った男はうなじを叩いた。 「……思い出した」 と、それまで黙っていた恋がぽつりと呟いた。 「一回戦で……勝ち抜いた人」 「おやおや、見られてましたか。まあ、運が良かったんでしょうなぁ」 「……違う。あれは、人殺しの剣」 恋の言葉に、一瞬無顔の表情がすぅっと薄くなる。 すぐにまた笑顔に戻るが───思春はその表情の中に、何か得たいの知れないものを感じた。 戦場で生き抜いてきた戦士の勘が警告してくる。 目の前の男は───自分達と同じ血の匂いがする、と。 「そっかー。じゃあ、僕も頑張らないとね!」 しかしそんな思春の心中を知ってか知らずか、一刀も無邪気に笑顔で返す。 一刀も馬鹿ではない。思春たちが露骨に警戒しているのも理解しているだろう。 だが一刀は未だ笑顔を崩さない。 暫くそんな相対が続いた後、遠くで大きく銅鑼が鳴った。 昼の休憩が終わった合図だ。 「それではワタクシはこの辺で。お互い、良い試合が出来る様に頑張りましょう」 無顔はこちらに背を向けて歩き出す。 暫くしてその影が往来に消えたのを見て、思春が漸く警戒を解いた。 「あの男…狙いは何だ?」 思春の見立てでは、十中八九あの男は刺客だ。 だとすれば狙いは何なのか───考えるまでもない。 恐らくは、未だ思春の横で笑顔を崩さない一刀である。 でなければこちらに声を掛けては来ないだろう。 「おい。次の試合、棄権しろ」 「ほえ?なんで?」 「なんで、ではない。お前も見ただろう?あの男───何か嫌な匂いがする」 「んー…そうなの?」 不思議そうに首を傾げる一刀の頭を、ポンと恋が撫でる。 「……恋も、ちょっと心配」 「にゃはは…恋ねーさまも思春ねーさまも心配しすぎだよ」 一刀は剣を手に取って立ち上がった。 深呼吸をして、伸びを一つ。 空には眩しい太陽が輝いている。 「大丈夫。僕はまだ死ぬつもりはないから」 それを見ながら、十歳の一刀には些か重い言葉をさらりと言った。 その年の武術大会は、些か奇妙な盛り上がりを見せていた。 本選に出場した八人の戦士───そのうち一人は張飛であるが───は、 皆腕の立つ者達である。 しかし、その中でも異彩を放っている戦士が二人いる。 一人はまだ十歳ぐらいの少年。こちらは素早い動きと技を予選で見せ付けた。 もう一人は予選を驚異的な速さで勝ち抜いた中肉中背の男。 どちらも印象が深かったのか、一回戦で二人が当たる事となり、観客たちの盛り上がりは 最高潮に達している。 どちらが勝つのか───誰もが白熱した試合を予想していた。 「気に食わん…」 観客席を眺めながら、思春は呟いた。 先ほどの男の事、そして昨夜の事が頭の中に浮かんでくる。 待ち受けていたかのような刺客の襲撃。 謎の男とこの対戦の組み合わせ。 偶然───というには些か出来すぎていると思春は思う。 ならば答えは一つしかない。 これは仕組まれた罠の可能性が高い。 (やはり力ずくでも止めるべきだったな…) 今更ながらに後悔する。 一刀の身の安全を考えるなら、昨日の時点で成都を発っておくべきであった。 「……心配?」 「当たり前だ。くそっ───だが今は見ているしかない…」 この段になっては、もはや一刀を目立たずに連れ出すのは不可能と言って良い。 目立っても良いなら話は別だが、それでは自分達の身分を明かしてしまう恐れが出てくる。 一応は戦乱は収まったとはいえ、まだ各国とも戦の記憶は新しい。 ここで無用な火種を撒けばまた血で血を洗う時代の再来にもなりかねない。 それだけは絶対に避けなければならなかった。 「今は見ているだけしかない、か。もどかしいな…」 仕えるべき主筋に危機が迫っているというのに、何も出来ないとは近衛の臣としては失格だ。 いざとなれば、いつでも試合に割って入り、一刀を抱えて逃げる覚悟はしているが。 と思春がそこまで思考を進めた時、 「おや、暇をしてるようだなご両人」 ふと、後ろから声を掛けられた。 思春と恋が振り返る。そこにいたのは蝶の仮面を付けた女が一人。 昨夜、思春たちを助けた女だ。 「ならば少々付き合ってくれまいか。なぁに、退屈はさせん。何せ───正義の味方がお姫様を救いに行くのだからな」 その頃、石の舞台上では、一刀と無顔の相対がすでに開始されていた。 無顔は手にした剣をぶらり下げて構え、腰を低く落として構えている。 一方の一刀は正眼。こちらは剣の常道とも言える構えで、相手の出方を見ている。 無顔は相変わらず笑みを崩さない。 そして、ふらりとその身体が揺らいだ瞬間、 「───っ!」 強烈な一撃が一刀を見舞う。 それを何とか受け止め、一刀は返す刀で相手の剣を跳ね上げようとするが、 無顔は瞬時に間合いを外し、また繰り返し斬撃を放ってくる。 「こ、のっ…!」 体重の乗った重い一撃を受けるたびに、全身が軋む。 こうされると子どもである一刀は受けに回るしかない。 このままではいつか力で潰されてしまう。 (何とか…しなきゃ…!) 斬撃を剣の腹で受け、滑らせるように相手の剣を脇へと流す。 勢いを流された無顔の身体が僅かに泳ぎ、ほんの一呼吸分の隙が生まれる。 一刀はその隙を逃さず、深く踏み込んで相手の胴を打とうと剣を振う。 だが、当たると確信したその時。 一刀の背筋に悪寒が走った。 この五年、毎日姉たちに鍛えられた身体は考えるより早く反応してくれていた。 一刀は振るった剣をそのまま流し、勢いのまま前に転げるように相手の間合いから抜け出す。 即座に体勢を立て直し、無顔と対峙する。 脇腹が浅く裂け、少し血が滲んでいた。 間違いなく剣で斬られた証だ。 「っ…!刃引きの剣…のはずだよね?」 「ええ。ですがまあ……こうして偽装するのは楽なものです」 笑みを浮かべながら、再び無顔が構える。 空いた間合いを一気に詰め、一刀に猛烈な突きを放ってきた。 「……っ!何が、目的なの!?」 「そうですなぁ。強いて言えば火種になって貰いたいのですよ」 今度は頚を狙った水平方向の斬撃。 一刀はとっさにのけぞってそれをかわす。 歓声が大きくなる。傍から見れば、白熱した攻防に見えるのだろう。 「ここであなたがワタクシに殺されれば───当然、呉に居るあなたの母君は怒るでしょうなぁ」 「……!」 「その後、こんな噂を流す訳です。蜀の陰謀によって呉の王子は暗殺された、とね」 「この───!」 今度は一刀が斬り返す。 足を狙った高速の斬撃。 刃引きの剣でも、急所に当てれば動きは止められる。 だが、一刀の斬撃は簡単に弾かれてしまう。 「両国の関係は、途端に悪化するでしょう。そして、それを見れば魏も黙ってはおりますまい」 「そんなこと───させるかぁ!」 叫びながら、流れるような連撃を打ち込む。 一対一の戦闘の基本は攻めること。防戦に回って勝てるのは、よほど腕の差があればの話だ。 また、体重の軽い一刀は力で攻められると弱い。 防戦に回っていては、いつかこちらの体力が尽きる。 ならばその分は全て攻撃に回す。そう判断した結果の攻勢だったが、 「甘いですなぁ」 「───っ!」 甲高い金属音と共に斬撃が止められ、剣が力任せに弾かれる。 それと同時に、動きの止まったこちらの腹に無顔の暴力的な蹴りが叩き込まれた。 体重の軽い一刀は数間の距離を吹っ飛ばされる。 何とか着地して体勢を整えようとするも、今の一撃で肺の空気が根こそぎ持っていかれていた。 呼吸が荒い。 息が続かないという事は、一刀の武器である速度が出せない。 「げほっ…!かはっぁ…!」 「苦しいでしょう?あるのですよ、一時的に呼吸を止めてしまう急所というものがね」 しばらくは動けませんよ、と、無顔は笑う。 一刀はづいてくる無顔に剣を構えようとするが、全身が痺れたように動かない。 ゆっくりと───無顔が剣を振りかぶる。 「脚も止められ、技も防がれ、力でも勝てず…所詮あなたはその程度の存在なんですよ。天の御遣い殿」 「……」 「この期に及んでも反抗的な眼をしてらっしゃる。さて、これ以上長引かせては余計な邪魔が入るかもしれない」 ギラリと、刃が日の光を反射してきらめく。 「それでは…ごきげんよう」 頚をめがけて頭上から刃が落ちてくる。 当たれば死ぬ。 死ねば自分は消えるだけ。だが、遺された大好きな人たちは─── 「────!」 大好きな母の、雪蓮の笑顔が浮かんだ瞬間。 目前で、刃が止まった。 無顔の腕に、刀が刺さっている。 「な…に…?」 呆然と己の腕を見る無顔の前に、軽やかに降り立った影が一つ。 「皆を照らし、邪悪なるものを祓う光…人をそれを日輪と呼ぶ」 「き、貴様は…!?」 「悪の蓮華の咲くところ、正義の華蝶の姿あり!」 華蝶仮面が、高らかに名乗りを上げる。 堂々と、腕を組みながら。 「尊き平和と、美を守るため…華蝶仮面、ここに参上!」 同時に観客が沸く。 祭りはここに、最終幕を迎えようとしていた。