その日、蜀の都成都は、華やかに彩られていた。 今日は祭りの本番である武術大会が開催される予定である。 元は祭りで血が昂ぶった若者などの発散のしどころとして始まったものであるが、 それがここ数年の間で、あれよあれよという間に大きくなっていた。 蜀の五虎将の一人、関羽───愛紗もまた、その祭り熱気の中にいた。 もっとも、こちらは主である劉備こと桃香の護衛としてであるが。 「それにしても…すごい規模になったものだな」 王城の前に作られた即席の───と言うには規模の大きすぎる会場を見下ろして、 愛紗は思わず感嘆を溢した。 愛紗の知る限りでは、それほど有名な剣士や戦士が集まる大会でもないはずだが、 先ほど運営に走り回っている朱里から聞くところによると、なんと今年の出場者は六十を数えるという。 もはや、祭りの余興とは言えない盛況ぶりであった。 血気盛んな街の若者や流れの傭兵、また旅の剣客など、様々な者達がいると推測できるが、この人数ともなると 試合を組むだけでも一苦労である。 そのため、今回はまず予選として六人から七人で乱戦を行い、それを制した一人が本選に進むという、些か変則的な 試合形式を取っていた。 全部で八の予選を行い、その後、選出された残りの八人で勝ち抜き戦を行うのだ。 せいぜい一つにつき五分から十分程度。休憩も含めて、この季節なら日のある内に終わるだろう。 広場に設置された石造りの舞台は、普段なら御布れや祭事などに使われるものだが、今日の日のために その四方に席が用意され、大勢の観客が場を埋めていた。 愛紗たちが今いるのは用意された貴賓席だ。 当初は普通に庶人たちと混じって見物するつもりだったが、この熱気である。 何かあってはいけないと急遽こしらえて貰ったのだ。 「楽しみだねー。みんな、頑張れー!」 顔を輝かせ声援を送る桃香を、愛紗は微笑ながら見守る。 そして、同時に頭の片隅に昨晩の報告を思い浮かべていた。 (呉から来た旅人が襲撃された事件……か。何事も無ければ良いが) 確か、少年と女が二人。 それも、愛紗の見立てでは三者とも武に長けていると見ていた。 もちろん警備には万全を期しているが───。 (警戒するに越した事はない。それに、試合会場には鈴々もいる) 誰がどこから襲ってこようとも、対応出来るだけの自信はあった。 それだけの備えは十分に揃えている。 やがて、開会を知らせる銅鑼が鳴り響いた。 石の部隊の上に、八人ほどの審判が並び、街の長老格が高らかに開催の挨拶を始めた。 抜けるような蒼天の下、剣士たちの競演がはじまろうとしていた。 一方、こちらは選手控えの天幕にて。 一刀の横にいる璃々はほんの少し、ここに来たことを後悔していた。 周りを見れば、集まっているのは屈強な剣士や戦士ばかり。皆、一刀や璃々の数倍はあろうかという体躯をしている。 (おかーさんはお祭りだから大丈夫って言ってたけどぉ…!) それしては明らかに目つきの危ない男や、どう見ても山賊にしか見えない面構えをした男もいる。 年齢も一刀が当然一番若い。周りは二十代から三十代である。 武器は刃引きの武具が用意されているらしいが、防具は皆自前である。 中には戦場に出るような重装備で来ている者もいた。 「や、やっぱり止めようよぉ〜…」 璃々は不安と恐怖に泣きそうな顔で一刀に言った。 只の街の大会などと言う雰囲気ではない。昨日見た戦いぐらいの殺気を璃々は確実に感じていた。 「んー…大丈夫だよー?」 だが一刀はそんな璃々の様子に些かも動じた様子はない。 初めて会った時と同じくニコニコと笑顔を浮かべながら、柔軟体操などをしている。 またこれだ、と璃々は溜息を吐いた。緊張感のカケラもない。 「んもう!一刀はもうちょっと危機感っていうのを持つのー!」 「にゃはは…良く言われます」 「だから、そういうのが…うー!」 注意しても一向に締まりのない一刀の顔に、璃々はついついやきもきとしてしまう。 (璃々…どうしちゃったんだろう?) ぷいと顔を逸らして、ふと考える。 何故自分は、まだ合って二日も経ってない男の子の事がこんなに心配なのか───。 璃々もそろそろ年頃の女の子である。 男の子に声を掛けられるのも一度や二度ではないし、告白らしき事もされた。もちろん、全て断ったが。 だが、今璃々の目の前に居る少年はどこか違う。 ニコニコと笑って、時々突拍子もない発言をしたりもするが───そこに不思議な暖かさがあった。 それが璃々には何故か心地良いのだ。 だからこそ、今回のように見ていて危なっかしいところには口が出てしまう。 璃々は基本的にお節介焼きだと自覚している。だから、折角知り合えた一刀が傷つく所は見たくなかった。 そう。これはそんな感情から出てくる言葉であって─── 「こ、恋とかそういうのとは…ち、違うんだからー!」 「ふえ?」 「はう!?な、何でもない、です…」 と璃々が真っ赤になって俯いた時、第一試合の終了を知らせる銅鑼が鳴った。 ずいぶんと早い。 まだ開始してそれほど間は経っていないはずだった。 「…早いな」 一刀たちの傍に座っていた大柄な男も、驚いた様に呟いた。具足をつけて、刃引きの槍を傍らに置いている。 防具は良く使い込まれていた。 さらにその向こうから、細身の、長剣を担いだ男がにやりと笑ってこれに応じた。 「どこかの手だれでも混じっていたか───今日は張飛将軍も居らっしゃるからな。油断は出来んさ」 一刀はそれを聞きながら、どう立ち回るかの戦略を組み立てていく。 横の二人はどちらも次の第二試合で当たる相手だ。細身の男が言うように油断は禁物だが─── それでも、昨夜に襲撃して来た刺客ほどの脅威は感じない。 とはいえ見たところ力も経験も相手の方が遥かに上だ。 ならば一刀の取る手段は一つ───速度と技術で相手を振り回すのみ。 (こういう乱戦……実は結構得意なんだよねー) 普段、自分に鍛錬を付けてくれる人たちが教えてくれるのは全て戦場を想定した鍛錬だ。 当然の事ながら、想定される相手は一人ではない。 呉を出てからは思春や恋と打ち込み程度の鍛錬しかしていなかったが、多数を相手にして戦う事は、 一刀にとっては日常的に行ってきた事と言える。 もっとも、実戦でどこまで通じるかは分からないが…それでも気は随分と楽である。 「……北郷!北郷選手!前へ!」 「っと、いっけない!」 いつの間にか名前を呼ばれていたらしい。一刀は慌てて剣を掴んで立ち上がった。 他の選手達はもう移動を始めている。 「それじゃ、行ってくるね。あ、思春ねーさまたちがどこかにいるみたいだから、良かったら…」 一刀がそこまで言った時、璃々がぎゅっと一刀の手を握ってきた。 「け、怪我しちゃダメだよ?…が、頑張ってね!」 それだけ言うと、璃々は天幕を抜けて観客席へと駆けていく。 一刀は少しきょとんとした顔をすると───またいつもの笑顔で、石の舞台へと上がっていく。 観客の歓声が耳を打ち、一刀は刃引きの剣を握り直した。 (───さあ、行くよ!) 心の中で気合を入れて、開始の銅鑼を待つ。 そして、試合の開始を知らせる銅鑼が、高らかに鳴り響いた。 「まったく、全然なってない」 開口一番、観客席から一刀の試合を見ながら思春が言った。 すでに試合開始からそれなりに時間が経っている。舞台上に残ったのは、大柄な槍使いと細身の剣士 それに一刀だけだった。 「……頑張れ」 ぎゅっと拳を握りながら、恋が応援している。その逆の手には先ほどから売り子を呼び止めて買っている 様々な食べ物が抱えられいた。 どうやら、恋はこの催しを存分に楽しんでいるようだ。 思春は横目でそれを眺めつつ、 「あいつはいつまで逃げているつもりだ?」 試合を見ながら、今度は首を傾げる。 思春の見た限りでは、一刀の目の前に居る二人の力量はそれほど高くない。まあ弱くは無いが、 将と比べれば並以下と言って良いだろう。 今の一刀の力量でも十分どうにかなるはずだが───と思春は考えていた。 「……手を抜いてる?」 そんな思春の疑問を察したのか、恋がモクモクと肉まんを頬張りながら言った。 「あいつにそんな器用な事が出来るものか。相手にしている二人がそれなりに強いのか、それとも───」 と、そこまで言って思春の顔が険しくなる。 「あの馬鹿、まさか最後は大技で決めようとでもしてるんじゃないだろうな…」 「……やっぱり、手を抜いてる?」 「かもしれん。あいつは……悪いところほど先達に似ているからな」 思春は軽く頭を抱えたくなった。 一刀のそういう気質は、祭や雪蓮からたっぷりと受け継いでいる。 最近では小蓮の悪戯心も加わって、呉に居たころはずいぶんと困らされたものである。 「あいつ…帰ってきたら久しぶりに説教だな」 「……頑張れー」 思春の溜息と、恋の気の抜けた応援が響く。 試合は終盤。 大柄な槍使いが、一刀に一気呵成に攻め込んでいる。 果敢に攻め込んでくる大男の槍を、一刀はひたすら交わす。 下半身を細かく使いながら、上半身を揺する事で狙いを定めさせない。槍と対峙する場合の定石である。 傍から見れば一刀が軽やかに相手の槍を交わしている様に見えるだろうが、当の一刀にとっては それほど余裕のある状況ではなかった。 突き出される槍の速度は速い。 さらに厄介な事に、槍を引いた瞬間に攻めようとすると、 「ちぇえええええい!」 「───っ!」 こうしてもう一人の敵が横から刀を振るってくるのだからたまらない。 (このままだとまずいかな…) 一刀は当初の腹積もりを捨てた。これでは大技を狙うどころではない。 どうやら、自分の技量を過信し過ぎたらしい。 (ああ、また思春ねーさまに怒られちゃうなぁ…) 散々引っ張っておいてこれである。 なんとも締まらないが、それでも負ければさらに大目玉を食らうことになるだろう。 ならば多少無様でも勝って見せないと、一刀にとっては都合が悪いのだ。 「せいやぁぁぁぁぁ!!!」 槍使いが気合と共に渾身の突きを放ってくる。 一刀はそれをトントンと調子を踏むように交わすと、槍が引かれる瞬間を狙って懐に飛び込んだ。 速い。 さらに子ども故の小柄さのため、前に姿勢を倒すと槍使いの膝程度の高さになる。 「っ!?」 今までとは違う積極的な攻めに驚いたのか、槍使いは後退して間合いを空けようとするが、 一刀の剣がそれより早く男の脛を打っていた。 まずはこれで一人。 そして、それを見ていた細身の剣士が、すかさず斬撃を打ち下ろしてくる。 一刀は体勢が崩れたまま、刀を斜めにして受け流すようにそれを止めた。 相手の剣がすべり、今度は向こうが体勢を崩す。 その隙を一刀は逃がさない。 低い体勢から一気に跳ね上げるようにして、相手の胴に剣を打ち込む。 その一撃は、相手の胸当てに当たり、金属同士のぶつかる甲高い音を響かせた。 「それまで!」 審判の手が上がり、試合の終了を宣言する。 槍使いも、細身の剣士も呆然と一刀を見ていた。まさか子どもに負けると思っていなかったのだろう。 会場が大歓声に包まれる。 歓声に包まれる一刀を見て、璃々はほっと息を吐いた。 先ほどからずっと試合を見ていたが、一刀に槍が突き出されるたびに、眼をつぶっていた自分がいる。 (…勝っちゃった) 大の男二人を相手に、一刀は勝った。 この歓声を聞けば分かる。それはすごい事なんだろう。 「でも…ちょっと信じられないかも…」 確かに昨夜も助けられたし、今もこうして目の前で見ていたのだが、璃々には何か実感がわかない。 それほどまでに、璃々の中の印象と、戦う一刀の姿がかけ離れている。 (でもでも、あれも一刀なんだよね…?) 自分の知らない一面。ほえほえとしてる時とは別の顔。 まだ出会って二日しか経っていないのに、それを知りたいと思う感情は何だろうか。 興味か。それとも別の─── 「ちちちっち、違うもん!こここ、恋なんかじゃ…」 ぶんぶんと頭を振って、思いついた結論を否定する。 一目惚れというものを否定するつもりはないが、幾らなんでも早過ぎると思う。 と璃々が乙女の葛藤に陥っていると、 「おやおや…あの子どもとお知り合いですか?」 ふと、後ろから男の声がした。 何の特徴もない───人間的な温もりの篭っていないその声に、璃々の背中に悪寒が走る。 「な…!?」 「おっと、声は出さないで頂きたいので」 その言葉が聞こえた瞬間、璃々の口が白い布で塞がれた。 「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」 璃々は必死に抵抗するが大人の力には逆らえず、逃げ出す事が出来ない。 そして、首筋に痛みが走り─── そこまで知覚したところで、璃々は意識を手放した。 華やかな祭りの裏で、静かに陰謀が蠢く。 この物語の主人公は───未だ、その事を知らずにいた。