成都の城下にある屋台は美味くて安いと評判であった。 その理由の一つとして、国を統治している劉備がその右腕である諸葛亮孔明の案を取り入れ、縄張りに囚われない市を 布いている事によって、土地と道具さえあれば気軽に商売を始められるという空気を作っているところにある。 商売が始めやすいということは、売る側にとってはいつでも競合店が出来るということでもある訳で、 そのため必然的に各産業の競争率は高くなり、特に飲食に関する屋台のそれは熾烈なものがあった。 そして競争原理が働けば自然に同じ業種同士が近くに集まる事になり。 成都には、通称『屋台通り』と呼ばれる市が広がっている───。 「…って、ことなんだよ?」 母親からの受け売りを思い出しながら、璃々は目の前にいる一刀に大まかに今居る場所を説明した。 それを受ける一刀はというと、ふんふんと頷きながらも肉まんを頬張っている。 「ひゃるひょどー。…んっく、それでみんなご飯が美味しいんだね!」 「…ちゃんと聞いるの?」 ニコニコと笑って、次の肉まんに手を伸ばそうとしている一刀を見て、璃々は呆れながら言った。 これでもう特大の肉まんを三つ目だ。璃々なら一つでお腹が膨れてしまうだろう。 自分より少し背が低い程度の一刀の身体のどこにそんな量の肉まんが入るのか───璃々には不思議でならなかった。 「ふう…ごちそーさまでした!」 ゆっくりと肉まんを咀嚼し終え、一刀は満足そうに目の前でパンッ!と手を合わせる。 「やっぱり呉とは味が違うなぁ…。でも、すっごく美味しかった。これは帰ったら亞莎おねーさまに教えてあげないと…」 「呉?一刀、呉から来たの?」 「うん、こっちでお祭りがあるって聞いたから。武術大会っていうのもあるらしいし…」 「ぶじゅつたいかい?」 そういえば、最近、城でそんな話を聞いたような気がする。 何でも今年は張飛こと鈴々が出場するらしい。 璃々は武術は専門外なので、余り興味はなかったのだが、かなり人気のある催しとは聞いている。 「それを見にきたの?」 「違うよー。それに出場しに来たの」 「…へ?何に?」 「だから、その武術大会に。えへへ…本当は思春おねーさまに止められたんだけど…」 悪戯がばれた様に舌を出して笑う一刀に、璃々は思わず絶句してしまう。 どうみても自分より年下の子が、大人たちが武器をぶつけ合い、戦う場所に出るという。 璃々は目の前にいる少年がそんな場に出ることが像出来なかった。 「あ、危ないよ!怪我しちゃうかもしれないし!」 「大丈夫。僕、鍛えてるし」 「そ、そういう問題じゃなくて!」 璃々は思わずバンッ!と机を叩いてしまった。 その音に、周りでお茶を飲んでいた人々が何事かとこちらに振り返る。 「は、はぅ…」 周囲の線に気付いた璃々は、恥ずかしそうに縮こまって椅子に座り直す。 一刀は相変わらずのニコニコ顔。 璃々はそんな一刀に少し恨めしそうな視線を送る。 「そ、それは…さっきも助けてもらったけど…うー」 呟きながら、璃々は改めて少年を眺めた。 歳は先ほど十歳と聞いた。璃々より一つ歳下になる。 それなりに整った顔立ちは、笑うと独特の愛嬌があり───有体に言えば、美形の部類に入るだろう。 璃々も年頃の女の子である。 先ほどの一件もあって、こうして一緒に屋台の机に向かい合っていると胸が高鳴ってくるのは仕方の無いことだった。 「ふえ?どうしたの璃々おねーさん?」 そんな内心を知ってか知らずか、一刀が不思議そうに首を傾げてこちらを見てくる。 璃々は慌てて赤くなった顔を袖で隠し、 「ななななな、何でもないの!そ、それより!これからどうするの?」 武術大会の開催は明日だ。 自分より年下の少年が一人旅をしているとも思えないが───見たところ、一刀には連れがいない。 璃々がそんな疑問を口にすると、 「んー…実は、ちょっとはぐれちゃって…」 一刀は困ったように頭を掻きながら答えた。 「先にこっちに来てる人を探してたんだけど、あっちこっち歩き回ってるうちにはぐれちゃった」 「へ?じゃあ、一刀って…」 「うん。実は迷子かも」 あっさりと、一刀はそんな事を口にする。 璃々は深く溜息を吐いた。出会ってからまだ半刻も経っていないが、何となくこの少年の性格が掴めて来た気がする。 (──何ていうか…ゆるゆる?) 掴みどころがないというか、頭の中にお日様が咲いている感じというか。 つい先ほど、大人のチンピラたちを文字通り一蹴したところを璃々も見たはずだが、 疑いたくなるほど目の前に居る一刀の印象からかけ離れている。 (やっぱり止めよう。武術大会なんて危ないし!) 璃々は心の中で決心した。 幸いまだ日は高い。一刀の仲間の人にも一緒に説得してもらえば、流石に考え直すだろう。 そんな決心を固めた所で、璃々は食事の勘定をしようと財布を取り出して───そこで固まった。 「ふえ?どうしたの?」 一刀が手元を覗き込んでくるが、璃々はまだ固まったままだ。 璃々の手には先ほど一刀が取り返した小物入れ兼お財布代わりの巾着が握られている。 「ど、どうしよう…」 泣きそうな声で、璃々が呟く。 「お金、足りないよぉ…」 巾着の中には銅貨が少しと銀貨が数枚。 一刀の食べた肉まんの代金には、とても足りてはいなかった。 ───前代未聞だな…。 思春は目の前の光景に思わずそんな感想を抱いた。 ここは数ある屋台の一角。肉まんが美味いと評判の店である。 そこに───思春の探し人、一刀が居た。 ただし、屋台の前掛けを着けて、両手にお盆を乗せながらではあるが。 「あ、思春おねーさまに恋おねーさま…いらっしゃい!」 「いらっしゃい、ではない。お前は何をしているのだ…」 「…一刀、可愛い」 「恋、お前は少し黙っていろ…」 頭を抱えながら思春はまた溜息を吐く。 仮にも一刀は孫呉の王族なのだ。呉の王族に屋台の給仕をさせているなど、 臣として末代までの恥になる。 「ともかく、だ。今すぐそれを」 「ダメだよ?だって夕方まで働くって約束だもん」 「何故そんな約束をしている!」 「んとね、えーっと…」 そう言いながら、一刀はキョロキョロと周囲を見渡し、やがて一点に定まる。 そこに居たのは───あうあうとこちらを見る一人の少女だった。 歳は一刀より一つ二つ上ぐらいだろうか。 一刀と同じ前掛けを着け、恐る恐るこちらの様子を見ている。 「…あの子がどうかしたのか?」 「うん。璃々おねーさんにご飯をご馳走してもらったの。だから今やってるのはそのお返しだよ」 「お返し…この屋台の娘なのか?」 「ううん。お城に住んでるんだって」 ますます意味が分からない。 「……お金、足りなかった?」 すると今まで黙っていた恋がぽつりと疑問を口にした。 「そうなのか?」 思春は少し離れたところでこちらを伺う少女に聞いた。 少女はぶんぶんと首を縦に振った。 どうやら、そういうことらしい。 「金もないのに屋台に入るな、馬鹿者」 「にゃー…」 コツンと軽く一刀の頭を叩く。 大方、あの少女は困っている一刀を見かねて手伝ってくれたのだろう。 頭の中に常にぽわぽわと花が咲いている様な一刀の事だ。 何も考えずに手伝わさせていたに違いない。 「すまなかったな。うちの馬鹿が迷惑を掛けた」 「あ、あの!そ、そうじゃなくて!助けられたのは…り、璃々の方で…」 璃々、と名乗った少女は困ったように手を目の前でブンブンと振っている。 思春はそれを一刀を庇っていると思ったのか、苦笑しながら、 「あれは見たままの通りの性格でな…。まあ、悪い子ではないのだが、何と言うか…その」 「だ、大体分かります…。あはは…一刀って、やっぱりそんな性格なんだ…」 言いよどむ思春に、璃々はうんうんと頷く。 お互いに何となく言いたいことは伝わったらしい。 「という訳で、世話を掛けたな。───親父、金は私が払う。幾らだ?」 そう言って思春が財布を取り出そうとするが───奥から顔を出した店主がそれを笑いながら遮った。 「結構ですよ。この子がよく働いてくれたお陰で、十分御代分は頂きました」 「えへへ…ぶい!」 「そうか…。それならば良いが」 思春は店主に頭を撫でられている一刀を見て、また苦笑した。 自然と人の警戒心を解き、環を作っていく。 五年前に初めて出会った時から変わらない一刀の才能は、得がたいものだと思春は思う。 王として一番大切な資質───人を引き付ける力。 それは誰にでも備わっている訳ではない。 「はぁ〜…よかったぁ」 今、思春の横でそっと胸を撫で下ろしてる少女も、 きっと一刀のそんな才能が出会わせたのだろう。 「あの、ありがとうございました。ほ、本当は璃々がちゃんとお金を払わないといけないのに」 「気にするな。大方、あれがまた何も考えずに大食いでもしたんだろう?」 「へ…?な、何で分かるの?」 「あいつのやることなら大体想像が付く。なにせ、あいつは弟の様なものだからな」 もっとも血は繋がっていないが、と思春は付け加えた。 そんな思春の言葉に、璃々は複雑な表情をしながら、 「か、一刀ってば、こんな綺麗なおねーちゃんがいたんだ…」 「どうした?私の顔に何かついているのか?」 「なななななな、何でもない!何でもないです…あはははは」 「そうか、なら良いが…」 ぶんぶんと手を振る璃々に思春は不思議そうに首を傾げていた。 こうして、成都の昼は過ぎていった。 闇が蠢く。 日の当たらない、深い深い地の底で。 全ての光を食いつくし。 全ての希望を絶望に塗り替えるために。 闇は叫ぶ。 血が足りぬと。 闇は叫ぶ。 生贄を捧げよと。 闇は問う。 汝ら、我を求めるか? その問いに「是」という声が返される。 声は一つではない。幾重にも重なって、様々な方向に反響して行く。 ならば、と。 闇は答える。 血を捧げよ。生贄を捧げよ。魂を、上質で豊饒な魂を捧げよ、と。 戦乱は未だ終わらじ。 世を乱せ。天を覆え。 そう───我らは闇を司る者なり。 さあ、戦を始めよう。 結局、屋台を出て宿に戻るのは日が暮れてからになった。 別に皆それほどゆっくりしていた訳でもないのだが、ついでにと休憩がてらに思春たちも座ってしまったのが どうもまずかったらしい。 「……美味しかった」 手に袋を抱えて、未だ熱の残る肉まんを齧っているのは恋である。 相当気に入ったらしい。 「まったく…うちの将は何故誰も彼も、食い物と酒に弱いのか…」 「にゃはは…でもこれ、本当に美味しいし」 溜息を吐く思春の横で、一刀が同じく肉まんの袋を抱えながら言った。 ───どうやら、昼に食べた分はもう消化された様である。 「すまんな。こんな時間まで付き合せてしまった」 「ふえ!?え、えと、璃々は平気ですから大丈夫です!」 思春が傍らにいる璃々に申し訳なさそうに言うと、璃々はとんでもないという風に返す。 「とはいえ、もう日も落ちている。城の手前まで遅らせて貰おう」 「は、はい…。あ、ありがとうございます」 またペコリと頭を下げる璃々。 と、そんな璃々の前に一刀が立った。 「んと…璃々おねーさん。おてて、繋ごう?」 「え…?」 「くらーい夜道は、ちゃんと手を繋いで歩かないと危ないんだって」 「え?へ?」 璃々は困惑した顔で思春を見る。 思春は苦笑しながら無言で璃々に目で合図を送る。 ───握ってやってくれ。 その目はそう言っていた。 「じゃ、じゃあ…ちょっとだけ、だよ?」 恐る恐ると言った感じで、璃々は差し出された手を握る。 握った掌から一刀の体温が伝わってきて───璃々は思わず跳ねそうになった心臓を心の中で押さえた。 「えへへ…それじゃ、行こっか!」 一刀がそう言って璃々と並んで歩き出そうとした時。 ふいに、空気が変わった。 不自然なまでに周囲の空気が冷え。 同時に、月が雲に隠れ───周囲を闇が舐めていく。 「……」 恋がいつのまにか矛を構えている。 その顔は戦場で見せる本気の顔───命のやりとりをする時の顔だ。 同時に、思春も腰の刀に手を掛ける。 いつでも戦闘に移行出来る様に、脚を広げ、腰を低く構えている。 「……璃々おねーさん、絶対に僕達から離れちゃダメだよ?」 一刀が握る手に力を込めた。 「な、何?どうしたの…?」 璃々だけが困惑しながら、周囲を見渡している。 その間にも、闇が深くなっていく───。 「……何か、来る」 恋の目が前方の闇を見据える。 瞬間。僅かな光さえ飲みこんでいく漆黒の中から、影が飛び出した。 「来るぞ…!」 思春が叫ぶ。 今───成都の都で、静かな戦いが幕を開けようとしていた。