蓮華の活躍によって、揚州の反乱は鎮圧された。 雪蓮の後継としてその手腕を評価され、孫呉が磐石であることを 周囲の豪族たちも認めざるを得なかった。 そして雪蓮はそんな状況を受け、かねてより計画していた建業への遷都を実行に移す。 周囲はその決定を是とし、呉は徐々にその基盤を固めていった。 また、こうして呉国内は安定の兆しをみせたものの、国外では大きな動きがあった。 まずは曹操。 かねてより衝突すると噂されていた袁昭とついに雌雄を決し、官渡の戦いにおいてこれを撃破。 兵力差を覆しての圧倒的勝利に、その武勇を大陸中に改めて知らしめた。 そして劉備。 こちらは大きな戦こそないものの、呉国境への偵察や兵馬、及び兵糧をしきりに集めているとの 情報が明命の手に寄ってもたらされている。 そして虎水関の戦いから落ち延びた呂布もまた、かなりの規模の兵力を所持している。 再び戦の足音が聞こえ始める───。 否が応にも、呉もその渦に巻き込まれていく。 「と、いう訳で。いろいろとキナ臭くなってきた情勢と私たちの今後についていろいろと 議論をしたいんだけど」 雪蓮はそこで一拍置いて、 「今日はみんなの意見を聞かせて欲しいの。何でも良いわ、良い案があれば言って頂戴」 軍議の開催を宣言する。 議題はもちろん呉の今後の身の振り方についてだ。 揚州の混乱を初期段階で鎮圧出来たこともあってか、国内はかなり安定している。 軍備の増強。 内政の充実。 政治の命題とも言えるこの二つを雪蓮たちは順調に推し進めていた。 そして、その甲斐もあってかかなり充実した戦力と国力を保持する事が出来ている。 ならば今こそ討って出る時───。 天下統一に向けて、その領土を拡大するべきである。 「それが大方針だが……果たして、どこに進軍するかだな」 「北、西、南…状況を考えると西に向かいたいところではありますけど……ダメでしょうね〜」 穏が困ったように唸った。 西の荊州には劉表という強い領主がいるが、それはさして問題ではない。 今の孫呉の力ならどうとでも出来る。 問題は───北方の劉備と呂布だ。 荊州を攻めている間に北から攻め込まれれば、建業への退路を絶たれる事になる。 「劉備はともかくとして…呂布が邪魔よねぇ」 雪蓮が膝に座る一刀の髪を弄りながら、言った。 「それに呂布には借りがあるし……本当ならそっちを潰しちゃいたいんだけどねぇ」 「うにゅー…かぁひゃまぁ…」 雪蓮はさらに一刀の頬をむにむにと嬲る。 一刀も口では抗議の声を上げるが、されるがままだ。 ───またか…この親子は。 全員がため息を吐く。 あの件以来、二人はずっとこんな調子だった。 「雪蓮……真面目にやりなさい」 冥琳が呆れながら諌める。 これでは王としての威厳もあったものではない。 「あら。別に怠けてる訳じゃないわよ?どっちにしろそうなれば南しかないんだし…それでいいんじゃない?」 雪蓮はなおも一刀を弄りながら言った。 「南は人口も多いし、良い土地もあるしね。とりあえず、そっちを制圧してから考えましょうか」 「それに海辺に近い事もあり、交易も盛んですからね〜。洛陽周辺とまでは言いませんが、それなりに国庫を 潤してくれるかと〜」 南方はその肥沃な土地と何より交易に使える港が多い事が一番の魅力である。 既に長江沿岸の貿易を呉は押さえているが、海が使えるとなるとそこから生まれる金は かなりのものになるだろう。 「それでは…南征という事ですか」 蓮華が確認するように言った。 「ええ。どうせ北の覇王さんがこちらに攻めてくるでしょうしね。その時のために備えておかなきゃ」 曹操は袁昭との戦いに勝利し、後顧の憂いを絶った。 あとは南進するか、西進するか───。 どちらにしてもそう遠くない未来に動くだろう。 「そういう事だな。では、すぐにでも南征の部隊を編成しよう」 「ええ。……あと今回も蓮華に討伐を任せるわ」 「わ、私がですか?」 雪蓮に指名された蓮華は驚いたように目を丸くした。 「前の反乱の鎮圧を見る限り、もう私が付いていなくても大丈夫そうだしね」 「……分かりました。拝命致します」 「うん。期待してるわよ」 そう言って、雪蓮は玉座から立ち上がった。 「出陣する将は呂蒙、甘寧、周泰、陸遜…ま、これぐらいでいいでしょう」 『御意!』 指名された武将が拳礼を返す。 「蓮華は小蓮と本陣を率いなさい。この戦…呉の未来を左右するわ。心して当たりなさい」 「はっ!」 蓮華は力強く応える。 その声に、以前ような張り詰めたような感じが無くなってるのを見て、雪蓮は満足そうに頷いた。 「あとは…」 「待て、策殿。出陣武将に儂の名がないんじゃが…儂はもはや用済みか?」 祭が残念そうな声で言った。 どうやら自分の名が無かったのがどうにも不満らしい。 「祭は私と冥琳とお留守番♪たまには後進に功を譲ってあげないなさいな」 「むぅ〜〜…前線で働く事が出来ないとは。齢とは残酷なものよ……」 そう言うと、祭は一刀に歩み寄って抱き上げる。 「ふ、ふぁ!?」 「こうして坊を愛でるぐらいしか、もう楽しみもない…」 「拗ねるな、黄蓋殿。私も居残り組だ。…私たちだからこそ、蓮華様も安心して留守を任せられるというものだ」 「そりゃ守りはするが。…つまらんのぅ」 「拗ねないの。ま、久しぶりに三人仲良くお留守番って事で♪」 「そうですね…姉様たちが留守を守ってくれるなら私たちは安心です」 呉の誇る三大英傑が後ろを固めてくれるのだ。 蓮華たちにとって、これほど心強い事はない。 「僕はー?」 「一刀も今回はお留守番。南方はいろいろと危ないからね。じゃ、これで大まかな布陣は決まりね」 雪蓮は改めて居並ぶ将に言う。 「南征に向かう将はすぐに出陣準備を。……武運を祈るわ。存分に働いてきなさい」 『御意!』 こうして、蓮華率いる呉の南征部隊は建業を発ったのである。 その数、約二万───南の小領主たちを平らげるには十分な数であった。 「むぅ……つまらん……つまらん……つまらん。どこかからか誰か攻めて来んかのう」 城壁の上で祭が嘆く。 南征部隊が発ってから早一週間───建業の都は平和そのものだった。 「もう。祭おねーさまったらわがまま言っちゃダメだよ?」 「しかしなぁ…坊よ。若い連中が戦場で暴れておるのに、儂だけ留守番ぞ?…つまらんと思わんか?」 「お留守番だって大事だよ?」 「飽きた」 「……母様ぁ」 一刀は横で笑っている雪蓮に助けを求める。 「祭ったら、相変わらず元気ねぇ。何か良いことでもあったの?」 「むぅ〜〜…暇なんじゃもん」 祭が唇と尖らせていじける様に言った。 それを見た冥琳が大げさにため息を付く。 「何がもんですか。いい歳をして」 「歳のことはお前も言えんじゃろ。なぁ公謹よ」 「なっ…!?祭殿!」 「かかか!最近、目元に小じわが出来ておるぞぉ!」 そしていつもの騒がしい光景が始まる。 雪蓮と一刀はそれを眺めながら、 「…平和ねぇ」 「平和だねー」 寄り添って、二人で天を見上げる。 「…蓮華おねーさまたち、大丈夫かなぁ?」 一刀が雪蓮の顔を見上げながら言った。 「そうねぇ…。あそこらへんにいるのは田舎領主の集まりばっかりだし、あの子たちなら上手くやってくれるわよ」 南方という土地は、小国家群の集まりで構成されている。 兵力は多いが───その大半は烏合の集の集まりだ。 同盟を組まれ対抗される可能性もあるが、所詮孫呉の敵ではない。 「ま、私たちはどーんと構えてればいいのよ。それに、この時機に攻めてくる敵なんて…」 と、雪蓮が言った時。 「も、申し上げます!」 伝令の兵がこちらに向かって大慌てで掛けてきた。 「何事じゃ!」 「つい先ほど、深紅の呂旗国境線を突破!この城に向かっているとの報告が!」 「…へえ。向こうから来てくれたのね。本隊の留守を狙うとは良い度胸してるじゃない」 雪蓮は不敵に笑う。 それは明らかに守るものの目ではない。獰猛な───攻めるものの目だ。 「良いわ。受けて立ちましょう。冥琳!すぐに篭城の準備を!蓮華にも伝令を出してこちらに戻ってくるように伝えなさい!」 「分かった。すぐに手配しよう」 「ふふふ…呂布か。相手にとって不足はないわい!」 にわかに城内が騒がしくなる。 ここに、建業の長い一日が始まろうとしていた。 「おうおう。良い気合を見せとるのぉ!戦い甲斐がありそうじゃ」 城壁から押し寄せてくる敵の部隊を見下ろし、祭が歓喜の声を上げた。 呂布が建業に押し寄せてから三日……祭たちはこうして押し寄せてくる敵を相手に奮戦していた。 敵の数は約一万───対して、こちらの数は四千程度。 必然的に篭城戦を選択しなければならない状況であった。 「…祭殿。あまりウキウキせんでほしいのですが」 「無理じゃ!」 そう言うと、祭は城の下にいる敵軍を指差す。 「だってじゃぞ?あんなにイキの良い敵軍が目の前に居て!どうして興奮を抑えられようか!」 それに、と。祭は続けた。 「儂以上にウキウキしとる御仁がおるぞ」 祭が顎でさした先にいたのは───雪蓮である。 「うふふふ…来たわね呂布。虎牢関で受けたあの屈辱…忘れてないわよ。あの時の借り、どう返してあげようかしら?」 「か、母様…?」 「そう言えば一刀も危ない目に合わせてくれたのよね。その借りも返さないと♪」 「……はぁ」 冥琳は額を押さえてため息を吐いた。 ───どうして我が軍には猪武者が多いのか。 「一刀…お前だけが頼りだ。二人であの血の気の多い困り者を抑えるぞ」 「う、うん…」 と、二人が決意していた時、 「敵軍の攻撃!更に激しくなっています!」 矢を放っていた部隊から伝令が来る。 「ふむ…敵も中々やりおるのぉ」 「流石は飛将軍呂布…といったところでしょうね。このままでは些か不味いな。どうする、雪蓮?」 冥琳は傍らにいる雪蓮に問いかけた。 このままではジリ貧になり兼ねない。 「分かってる。…冥琳、討って出るわよ」 「っ!!正気か?」 「どうせこのままじゃジリ貧だもの。それに……そろそろあの子たちが帰ってくるわ」 「蓮華様たちが?まだ何も見えんが…」 冥琳は周囲を見渡してみる。 それらしき砂塵は確認出来なかった。 「勘、よ。時間差で挟みうちを掛けるわ。部隊の編成、よろしくぅ♪」 「ま、待て!そんなあやふやなもので!」 「やっとじゃー!やっと儂の出番が来る!くくくっ…腕が鳴るわい!」 「一刀は冥琳と後方で援護をお願いね!じゃっ!」 そう言うと、雪蓮と祭は城門へと降りて行く。 それを見送った冥琳と一刀は、 「……なぁ、一刀」 「は、はい?」 「お前は……母親の様にはなるなよ?」 「う、うん…」 「はぁ……ほんと、私なんであの子の軍師なんてやってるのかしら…」 冥琳の深い───とても深い嘆きが城撃の上に木霊した。 血飛沫が舞い、怒号と悲鳴が周囲を支配する。 矢で穿たれ、槍で突かれ、刀で切られ───敵も味方も、等しく皆屍を晒して行く。 雪蓮は、そんな戦場の只中に居た。 「はああああああああ!!」 目の前に立ちふさがる雑兵を纏めて切り伏せる。 戦闘開始から半刻───呉軍の奮闘は目覚しく、倍以上の数の相手に互角以上の戦いを 展開していた。 「どうした!この孫策を討ち取れる猛者はおらんのか!?」 雪蓮が高らかに叫ぶ。 「かかか!ずいぶんとやる気じゃの!策殿!」 そして、横を固めている祭が愉快そうに笑う。 その間にも矢を放ち、何人かの敵兵を射抜いていた。 「おうおう!どうしたどうした呂布よ!我らを討ち取るにはちと数が足りんのではないか!?」 「………ここに居る」 「…むっ!?」 祭が反応するのとほぼ同時に、雪蓮に向けて槍が突き出される。 「策殿!」 「……っち!」 雪蓮はそれを間一髪で交わすと、剣を薙いで一度間合いを開けた。 「呂布か!」 「……行く」 繰り出されるのは神速の連撃。 雪蓮は何とかそれを捌きながら、反撃を繰り出すが、 「……」 その全てが呂布の手で弾き返される。 「やっぱり…一人じゃきついわね!祭!」 「おうさ!」 雪蓮の一撃を受けた隙を突いて、祭が矢を連発で放つ。 呂布はそれを難なく弾くが─── 「こっちがお留守よ!」 「……っ!」 休むことなく続く雪蓮の重い連撃に、流石の呂布も防戦に回る。 雪蓮の攻撃が弾かれれば祭が。 祭の矢が弾かれれば雪蓮が。 その連携は絶妙であり、呂布に付け入る隙を与えない。 「……」 このままでは不味いと思ったのか、呂布は受けに回りながら間合いを開けようとした。 だが───それこそが雪蓮の狙いだ。 「ちょっと卑怯かもしれないけど……そこっ!」 そう言って、雪蓮は懐から短刀を取り出し呂布に投げつける。 「……っ!?」 予想外の一撃だったのだろう。 呂布は不意に飛んできた短刀に対応出来ず、それでも槍で受けて見せた。 しかし、それは雪蓮相手には致命的な隙だ。 「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」 裂帛の気合と共に、雪蓮の振り下ろした必殺の一撃は 「……っ!」 呂布の槍を弾き飛ばし、その手から得物を奪い去った。 「…さて、覚悟は出来たかしら?」 雪蓮はもはや丸腰の呂布に剣を突きつける。 「……」 呂布は無言で雪蓮を睨む。だが、追い詰められた状況にも関わらず、その目にはまだ闘志が燻っている。 しばらく、にらみ合いが続く。 「策殿!権殿の部隊が合流してくれた!この戦…我らの勝ちだ!」 祭が報告してくる。 どうやら、蓮華たちが戻ってきてくれたらしい。 周囲の状況も次第に落ち着いて来ている。戦の終わりは近かった。 「という訳だけど…。どうするのかしら?このまま最後一兵まで戦って死ぬ?」 「……っ」 呂布の顔に迷いが浮かぶ。 雪蓮の言葉は、このまま戦えば皆殺しにするぞという確固たる意志だ。 「さあ、選びなさい。このまま戦うか…それとも、降るか」 「……」 呂布は俯いて、静かに腕を下ろす。 それは、呂布なりの確かな降伏の意志だった。 「……生き残った皆の命、助ける。それが条件…」 「……良いわ。この孫伯符の名において約束しましょう。祭、この事を冥琳へお願い。全軍に通達! 飛将軍呂布は我らが孫呉に降った!速やかに残りの軍勢の捕縛に入れとな!」 「応!」 「それと呂布。あなたの命令で兵たちの戦闘を停止させなさい。降伏すると決まった今…お互い、無駄な犠牲は 出したくないでしょう?」 「……」 呂布はこくんと頷くと、伝令を呼んで命令を伝えて行く。 それを見た雪蓮は満足そうに頷くと、剣を掲げ高らかに宣言した。 「我らの勝利だ!勝ち鬨を…上げよーーー!!」 兵たちの雄叫びが大地を震わし、大気を揺らした。 その後───雪蓮は呂布との約束を果たし、呂布軍の兵士たちを厚く遇した。 そして、雪蓮は呂布を自軍の将として容れる旨を発表する。 これは冥琳をはじめ、反対意見もあったものの、 「呂布ほどの人材、放って置くには惜しいもの。それに…また下手に他国に行かれても厄介だしね」 という雪蓮の一言で、皆渋々ながら納得をしたようである。 もちろん、冥琳の頭痛の種がまた一つ増えたのは言うまでもない。 時は三国時代───時代は加速度的に混迷を深めて行く。 その先に何があるのか。それは誰にも分からない。