曹操の侵攻より早一月───。 呉軍の奮闘によりその猛攻を辛くも防ぐ事に成功した雪蓮たちだが、その代償は大きかった。 落とされた城や戦火に巻き込まれた街の復興。 失った兵の補充と遺族の生活の保障。 そしてこの時代、兵を失ったという事は農民を失った事と同義であり、田畑を耕す者が減るという事態に直結する。 それは国庫の減収を意味し、その面でも大きな傷跡であると言える。 世は群雄割拠。戦乱の時代だ。 弱みを見せればすぐに付け込まれ、打倒される。 雪蓮たちは数多くの問題に頭を悩ませながらも、早急に対処しなければならなかった。 「───以上が、この前の戦いで失ったもののまとめだ」 「ありがとう。……やっぱ、結構な痛手を受けちゃったわね」 玉座の間に、雪蓮のため息が響く。 目下議論されているのは呉の国内の問題についてだ。 「仕方あるまい。必要な犠牲───とまでは言わんが、むしろこれぐらいの損失で済んだのが幸運よ」 冥琳はたんたんと事実を述べる。 兵は失ったが、あれだけの戦闘の中で将は一人も欠けていない。 この世情である。有能な人材は何よりも貴重な存在だった。 「そうね。……ま、嘆いてても仕方ないわ。何とか立て直さないと」 「それも出来るだけ素早くだな。……難しいが、やらなければ後が無い」 最近は揚州各所で不穏な動きも出ている。 それもそのはず。揚州は元々袁術の根拠地であり、その後雪蓮の力が強大になってくに連れて 恭順していったという経緯がある。 逆を言えば───力が弱くなれば即座に反旗を翻し、内部から呉を食い荒らす牙となるという事だ。 現に幾つかの有力豪族が反乱を起こそうとこちらを狙っているという情報も入っている。 内乱の勃発───早急に鎮めなければ、厄介な事になるだろう。 また、外交に関しても当然であるが動きがあった。 まずは先の戦の加害者である曹操だ。 こちらは天の御遣いを暗殺しようとした負い目からか、呉内部の混乱が収まるまでは 戦を仕掛けないとの確約する使者を送ってきた。 弔問の使者(もっとも、一刀は死んでいないが)その犯人たちの生き残りの首を刎ね、 その塩漬けを送ってきたりと、誠意ある態度を見せた使者に雪蓮は激怒して見せたものの、 それを受け入れ、返礼の使者を返すなど、表面上は和解の姿勢を見せた。 そして次に劉備。 こちらも使者を送って来たが……その内容は雪蓮たちとの同盟を一旦白紙に戻したいというものだ。 表向きの理由は、呉内部の混乱が収まるまで様子を見たいという内容ではあったが、 その裏には雪蓮たちの力が衰えていると見れば、いつでもこちらを打倒する姿勢であるのは明白だった。 その外交感覚はこの戦乱の世で成り上がったものが持つ強かさである。 「あの子に対する認識……改めないといけないかしらね」 「まあ大方、諸葛亮あたりの入れ知恵だろうがな。……だが、有効な手であると言わざるを得ん」 呉の置かれた状況は厳しい。 そしてどれもこれも難しい問題ではあるが、確実に解決していかないと将来に禍根を残すだろう。 「でも、やらなきゃいけない事だしね」 ───とにかく、と。 雪蓮は玉座から立ち上がりながら、眼前にいる将に宣言する。 「まずは国内から固めないとね。早急に内乱を鎮圧し、強い呉を取り戻すわよ」 「……だな。まずはそれからだ。揚州には蓮華様と祭殿が向かっている。あの二人に任せておけば安心だろう」 「む〜…そうだけど」 雪蓮が何故か不安そうに唸った。 「一刀まで一緒に行くことはないと思うんだけど?」 「…またそれか」 冥琳は呆れたようにため息を吐いた。 「言っただろう。内乱で揺れている兵を纏めるのに、あの子の名声が必要なの」 先の戦で一刀は暗殺者の矢によって重傷を負い、一度その命は尽きたかに思われた。 誰も彼も、その死を悼み悲しんでいたその時、 ふらりと現れた一人の男が、一刀の命を救い上げた。 「行くぞ!うおおおおおおおお!全力全快!必察必癒!五斗米道ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」 華陀───と名乗った男が振り上げたその針で、 「げ・ん・き・になれえええええええええええっ!!」 一刀の命は救われたのだ。 「……相変わらず、あれは反則的よね。いろいろと」 その様子を思い出しながら雪蓮が苦笑する。 「まったくだ。あの男…本当なら我が国で迎えたいところなんだがな」 冥琳もしみじみと頷いた。 何でも連れの人探しのための情報が欲しかったらしいが、華陀は暫く傷の経過を見るとそのまま 益州へと旅立って行った。 本当であれば、無理やり引き止めてでも抱え込むところだが、 「一刀の命を救ってくれた恩人に無理言えないもんね」 その雪蓮の一言で、冥琳としても諦めざるを得なかった。 「まあそれは良いとして。……一刀は今、死の淵から生還した奇跡の子として兵たちの間で噂されていてな」 人の噂とは尾ひれがつきやすい。 元々天の御遣いという立場であった事。それに雪蓮が自分の子として認めている事などと合わせて、 兵や民の間には『天の奇跡』である───などという噂が冥琳たちの耳にまで届くほど広まっていた。 「中には軍神の生まれ変わり……などと言う輩も出てきている。その名声、利用しない手はないだろう?」 「そうだけど……。何も戦場に出さなくても良いでしょ?」 「……そんなに心配か?」 「当たり前でしょ!まだ傷だってちゃんと治ってるか分からないんだし!」 雪蓮は心配そうに玉座の周囲を歩き回る。 「ああ、また矢で撃たれたりしたら…。う〜〜〜…」 「そんなに心配することもあるまい。蓮華様に祭殿や思春も居るのよ。万が一の時でもちゃんと守ってくれるわ」 「分かってる。分かってるんだけど…」 そういうと雪蓮は天井を見上げ、 「はぁ…大丈夫かしら」 深く、ため息を吐いた。 「……へっくち!」 「なんじゃ坊。怪我が癒えたと思ったら、次は風邪か?」 「にゅ〜…」 ぐしゅっと、一刀は鼻をすすった。 ここは揚州南部───今、一刀たちは内乱鎮圧のために軍を進めていた。 たかが内乱…とは言うものの、各地の豪族達が同盟を組めばそれなりの数になる。 気張る必要もないが、油断も出来ない。 これは、そういう性質を持った戦だった。 「ま、中にはこれでもかという程気張っておられる御仁もおるがの」 「ふえ?」 不思議そうに首を傾げる一刀に、祭は顎で示す事で答る。 そこには…すっと姿勢を正し、前方を睨んでいる蓮華が居た。 「気付いておるか?もう半刻もずっとあのお姿じゃ。ろくに休憩もしておらん」 祭はため息を吐き、 「たかが内乱の鎮圧程度でああまで緊張されてはな。もう少し鷹揚に構えて下されば良いものを」 「にゃはは…蓮華おねーさま真面目だからねー」 蓮華は雪蓮から、今回の鎮圧の総大将をとして任命されていた その責任の重さは───まだ幼い一刀にも大変な重責であると分かる。 ましてや、真面目で頑固な蓮華の事だ。 人一倍緊張していても仕方ない事ではあった。 「とは言うものの…あのままではまずいですね」 そこに後曲の舞台を纏めていた思春が合流する。思春も蓮華の姿に思うところがあるらしく、 こちらも心配そうに蓮華を見つめていた。 「という訳で我らが総大将にはあの緊張を緩和するものが必要じゃの」 「はい。やはりここは……」 と、二人は傍らを見る。そこには相変わらずほやほやとしている一刀がいた。 二人は決心したように頷き合う。 ───ここに、適役がいるじゃないか。 「ふえ?」 「良いか坊?今からお前に重要なお役目を任せる」 「う、うん…」 祭はにっこりと笑いながら一刀に言った。 話の見えていない一刀はきょとんとして、首を傾げている。 その後ろを思春が固め、がっちりと肩を掴む。 「そうだ。これはお前にしか出来ん。頼んだぞ?」 「え?あ、あの…な、何をするの?」 「そんなの決まっておろう」 「権殿の緊張をほぐして来い。なに、坊ならお手のものじゃろうて」 「……」 蓮華は眉間に皺を寄せて、自軍の布陣を眺める。 今回の総大将は自分だ。 ───この部隊の全ての責任が今この肩に乗っている。 そう思うと、嫌でも身体が硬くなった。 (……情けないわね) 心の中の冷静な部分が呟く。 もっとしっかりしなければ───そうは思うものの、逆に身体が強張っていくのを感じて。 蓮華は今日何度目か自己嫌悪に陥っていた。 「蓮華おねーさま♪」 と、そんな蓮華の後ろから誰かが呼ぶ。 振り向くと、そこに一刀が立っていた。 「一刀?どうしたの?」 「えへへ…蓮華おねーさまとお話したかったんだ」 そう言うと、一刀は蓮華の横に立ちぎゅっと脚に抱きついてくる。 「ちょ、ちょっと一刀…」 蓮華は慌てて一刀をどかせようとするが、一刀は脚に抱きついて離れない。 暫くして、蓮華は諦めた様にため息を吐いて苦笑した。 「もう…甘えん坊さんね。一刀は」 「んー…」 蓮華に頭を撫でられた一刀は、気持ち良さそうに目を細めた。 しばらく、二人の間に穏やかな時間が流れる。 「ねぇ、蓮華おねーさま?」 「なに?」 「んとね…その…僕、なんか緊張してきちゃった…。母様と一緒じゃないのに せんそうするのって、はじめてだから…」 「…一刀もか?実は、私もなんだ…」 一刀の切り出した弱音に、蓮華も不安そうな顔で答えた。 「情けないな。これでは…総大将失格だ」 ───姉様はいつもちゃんとこなしてるのに。 蓮華は改めて王である姉の重責を思う。 一刀はそんな蓮華を腕の中から見上げて、 「大丈夫だよ。蓮華おねーさま、こんなに頑張ってるもん」 「…私が?」 「うん。街の人たちも兵隊さんも、みんな言ってるよ?蓮華様はお若いのにいつも頑張ってるって」 「そう…有り難いわね」 蓮華は天を見上げる。 (───たかが内乱の鎮圧程度で何をうじうじと悩んでいるのか) 一刀の言葉が嘘でないのなら。自分はその人々の期待に応える必要がある。 我が名は孫仲謀。孫呉の王族にして、その後継者だ。 この程度で躓いてはいられない。 「…ありがとう。一刀」 「ふえ?何が?」 「ふふっ…何でもないの。さあ、あなたは亞莎と一緒に後方に下がっておいて。また怪我をさせてしまっては 姉様に怒られてしまうから」 「うん。わかった」 蓮華の腕の中から離れた一刀は、前に立ってぐっと目の前で拳を握る。 「ふぁいと、だよ!」 そう言うと、一刀は後方へと戻っていった。 「ふぁいと、か。……後でどういう意味なのか聞いてみないとね」 蓮華は笑いながら一刀の背中を見送る。 ───いつの間にか、心の緊張が解れていた。 「……蓮華様。部隊の展開、終了しました」 一刀と入れ替わりでこちらに来た思春が報告する。 そろそろ敵の本拠地も近い。 「ああ。私たちの力が衰えたと勘違いしている恥知らずの下衆ども……をこの呉より駆逐するぞ」 「はっ!どうやら敵は篭城を選択した模様。城門を硬く閉ざし、弓兵を城壁の上に並べております」 それを聞いた蓮華は鼻で笑う。 「城に篭った程度で我らを止めるつもりか?愚かな…」 数も勢いもこちらが上。 それに前方の敵の砦はさほど強固とは言えない代物だ。 幾ら城に篭られようが、ものの数ではない。 「祭!明命とともに敵の城門を突破せよ!思春、亞莎は敵の西門と東門を脅かして敵をかく乱させろ!」 『御意!』 「穏は後方より城壁の上の敵を一掃しろ!」 蓮華は剣を抜き、号令を掛ける。 「この大陸の情勢の中!己の私利私欲だけで反旗を翻し、民を苦しめる輩を、我らの手で討ち取るぞ!」 全軍が雄叫びでそれに応える。 「全軍!我が旗に続けぇぇ!!」 蓮華率いる呉軍は圧倒的な強さを見せた。 早々に城門を突破した祭と明命の部隊によって、城内の兵は次々と駆逐され、 その首謀者の首が斬り落とされる。 まさに蓮華の言ったとおり、呉軍の精鋭の前ではものの数ではなかった。 「ふう…」 勝ち鬨を上げる前線の部隊を見て、蓮華は安堵の息を吐いた。 内戦の初期状態で圧倒的勝利を収めることが出来た。 これで、孫呉の力は健在と内外に示せたはずだ。 「お見事でした〜。これで内乱も収まるでしょう」 「おだてないで。姉様に比べたらまだまだよ…」 「そんな事ありませんよぉ。蓮華様は蓮華様ですから。ねぇ一刀様〜?」 穏は横に立つ一刀に同意を求める。 「うん!」 「ふふっ…ありがとう。さ、部隊を纏めて事後処理に当たるわよ」 そう言って、蓮華は胸を張って歩き出す。 もはやその顔に、不安は無くなっていた。 一方その頃───建業では。 「うー…一刀ぉ」 「いい加減にしなさい…」 今日も過保護気味な母親の唸り声が玉座に木霊していた。 時は三国時代───時代は新しい風を生み、時を作っていく。 その先にあるものは、誰も知らない。