「進め!進め!進め!進めぇ!」 蓮華の怒号が戦場に響き、 「殺し尽くせ!贖わせろ!奴らの血で!我らが呉の希望を…一刀の命を償わせろ!」 涙交じりのその声が兵を突き動かす。 「我が老躯よりも先に逝くか…。天はなんと無情なことよ…」 祭が嘆き、 「……黄蓋隊に告げる!一兵たりとも逃すな!皆々殺し尽くせ!敵の骸を踏みにじり、我らの怒りを天に示せ!」 その怒りに燃える瞳を敵へと向ける。 「我らが子を!愛しき未来を奪われた怒りを!哀しみを!憎しみを!天に見せ付けるのだ!」 「一刀様…一刀様…」 亞莎が涙を堪え、 「皆…頑張れ!私たちの姿を見てあの子が笑えるように!」 亞莎が号令を下す。 「私たちは大丈夫だからって…!ちゃんと安心して逝けるように!」 「殺せ!殺せ!殺し尽くせ!」 思春が目の前の敵を切り伏せ、 「一刀を…!我らの希望を穢した罪を!奴らの血で償わせろ!」 剣を掲げる。 「投降するものは殺せ!逃げるものも殺せ!二度と歯向かえないように…その血を大地に吸い込ませろ!」 「邪魔者は殺して下さい!一人として逃がしては駄目です!」 明命が敵の喉笛を切り裂き、 「敵に…一刀様を亡き者にした奴らに!この世の地獄を味わわせてやるのです!」 そして───最後に雪蓮が征く。 「曹操…貴様だけは…!貴様だけはこの手で!」 呉軍は今、死兵と化していた。 「くっ…!何だこの兵どもは!死も考えずがむしゃらに突っ込んでくる!」 夏候惇は戸惑いの声を上げた。 開戦からすでに半刻───死兵と化した呉軍の追撃を受けた魏の殿軍は、大打撃を受けていた。 夏候惇自身も既に20人以上の敵と相対していた。 「まずいな…。姉者、どうやら奴らは死ぬのが怖くないらしい」 「死兵、か。……気持ちは分からんでもないが!」 隣で矢を放つ夏候淵と会話しながらも、目の前に躍り出てきた敵兵を切り捨てる。 「ちっ…!……死兵とまともに戦う気にはなれん。秋蘭、さっさと退却するぞ」 「賛成だ。全軍退却するぞ!」 主である曹操が逃げ切れるまでの時間は十分に稼いだ。 これ以上は無駄に兵を失うだけだろう。 そう判断した夏候淵は、貴下の部隊に号令を下す。 だが、その時───すさまじい殺気が二人を襲った。 「っ…!?な、何だ?」 「気をつけろ…。何か来るぞ!」 前線から背を向けていた二人は武器を構え、油断無く振り返る。 ───だが、そこに広がっていたのは、おびただしい兵の死体だった。 その光景に二人は驚愕の表情を浮かべる。 自分達が目を話していたのは一瞬……つまり、この兵たちはその間に殺された事になる。 「馬鹿な!何が…」 「姉者!後ろだ!」 「何っ!?……っぅ!?」 辛うじて夏候惇の大刀が背後からの斬撃を弾く。 だが完全に威力は殺せなかったらしく、夏候惇の身体が大きく吹っ飛ばされた。 「貴様はっ…!」 「馬鹿な…ここまで一人で抜けてきたというのか!?」 そこに、怒りと哀しみに燃え盛る瞳を宿した───雪蓮が居た。 「……どけ」 全身を返り血に染め、同じく人を斬り過ぎて刃が赤く染まった剣を突きつける。 「雑魚に用はないわ。……曹操は、どこ?」 「貴様!この私を雑魚と言ったか!」 夏候惇が大刀を振りかざして雪蓮に斬り、それを見た夏候淵が同時に矢を放つ。 どちらも神速の早業だ。 並の将であれば……いや、例え一流の将であっても防げるかどうかという見事な連携であった。 「……っ!!」 雪蓮はまずは飛んできた矢をたたき折り、 「はぁっ!!」 返す刀で踏み込んできた夏候惇をいなし、その頚を狙って剣薙ぐ。 「くっ…!」 「言ったでしょ?雑魚に用はない。…時間が無いの。めんどくさいからあなたたちも死んでもらうわ」 「…やれるものならなぁ!!」 夏候惇は一度間合いを開けると、再度踏み込みながら連撃を加えた。 「この夏候元譲!そう易々と獲られてやるほど甘くはないぞ!」 だが、裂ぱくの気合とともに打ちこまれるその斬撃を、雪蓮は表情の消えた顔で冷静に捌く。 「…飽きたわ。いい加減死になさい」 「何っ!?」 大振り気味に放たれた一撃を交わし、雪蓮の剣が奔る。 その速度は僅かに夏候惇の知覚を上回り、その肩を切り裂く。 鮮血が噴出し、夏候惇は肩を押さえ後退する。 「くぅっ…!不覚を取ったか!」 「退くぞ姉者!その傷ではこれ以上は無理だ!」 夏候淵は馬を寄せると、連続で矢撃ちながら夏候惇を拾い上げる。 「大丈夫か!?」 「心配ない。急所は外れているさ。…っ!秋蘭!」 「何っ!?」 「…死になさいって、言ったでしょう?」 いつの間にか間合いを詰めていた雪蓮が馬上の夏候淵たちに踊りかかる。 「正気か貴様!?」 「…死ね」 雪蓮は高く跳び上がり、頭上から必殺の一撃を加える。 「くそっ…!」 夏候淵は矢を番えるのを諦め鋼鉄製の籠手でそれを受け止めるが、 「ぐうっ…!」 「秋蘭!?」 受け止めた籠手が割られ、夏候淵の手から血が流れ落ちる。 鋼鉄をも切り裂く雪蓮のすさまじい一撃を受け止めたのだ。手が繋がっているだけでも僥倖だった。 夏候淵は傷を抑えながら、 「だ、大丈夫だ。それより姉者!」 「ああ!…孫策!この借り、必ず返すぞ!」 そう言うと夏候惇は馬を返し、全力で戦場から離脱して行く。 幾ら雪蓮でも、駆け出した馬には追いつけない。 「……」 雪蓮は剣を握り締め、唇を噛む。 「今更逃げられると思ってるのかしら?…全軍!このまま奴らを追撃する!奴らが何をしたのか… 徹底的に思い知らせてやれ!」 雪蓮の号令の元、追いついてきた兵たちが追撃を掛けるために動き出す。 ───このまま地獄の底まで追い詰めて…殺してやる! 雪蓮が怒りに燃えるままに進もうとしたその時、 「待て雪蓮!冷静さを失うな!」 後方から来た冥琳が前に出て雪蓮の身体を抑えた。 「この様な追撃…いつまでも続く訳がないだろう!現に兵の多くに損害が出ているんだぞ!」 人間の体力は無限ではない。 今は一刀を失った悲しみが身体を突き動かしているがその様な気力はすぐに尽きる。 当の雪蓮でさえ、先ほどの一騎討ちでかなりの体力を消耗し、荒い息をしているのだ。 このまま疲弊した状態で無理に進み、雪蓮まで失う事になれば───呉は歴史の舞台から退場しなくてはならなくなる。 それだけは避けなければならない。 「それが…それが、どうしたって言うの!一刀を…あの子を傷つけた痛みを、あいつらに 徹底的に教えてやるわ!」 だが怒りで我を忘れている雪蓮にはその言葉が通じない。 冥琳は、少し躊躇った後─── 「っ……!?」 雪蓮の頬を、打った。 「……落ち着きなさい。孫伯符。あなたは孫呉の王…あなたまで死んだら、 あの子が、一刀が愛したこの国はどうなるの!?」 「冥、琳…」 「悔しいのも、悲しいのも…皆同じだ!だが、そんな事であの子が安心して逝けるとお思いか!?」 唇を噛みしめながら、冥琳は雪蓮を睨みつける。 瞳が潤むのを、必死に堪えながら。 「生きている人間には、生きて行く責務があるわ。…感情に流されて、その責務を放棄するようでは 王として…いえ、人として失格よ」 「……でも!」 二人の間に重い空気が流れる。 と、そこに亞莎が息を切らして駆けつけてくる。 「孫策様!冥琳様!一刀様が…一刀様が!」 「っ……!!」 「すぐ行く」 雪蓮たちは一刀の居る本陣に駆け出して行く。 ───どうか、どうか神様! 雪蓮は心の中で祈る。 この世に生まれて初めて……神に縋った。 「一刀っ!」 天幕に駆け込んで来た雪蓮は、一刀に駆け寄ってその身を抱き上げる。 「か、あ…さま…?」 雪蓮の声に反応したのか、一刀が薄っすらと目を明けた。 「…かあさま…けが…してる、の…?」 「大丈夫よ…。これ、全部返り血だもの。大丈夫だから…母様は元気だから…」 無理矢理に、笑顔を作る。 泣いてはダメだ。 せめて……せめて笑顔で、見送ってやらなければ。 だから雪蓮は笑う。 いつも寝るときにしているように、優しい笑顔で。 「だから…あなたもちゃんと傷を治して…元気に…」 いつまにか、雪蓮の目から涙が溢れ出すしていた。 ───泣くな!泣いてはダメだ! 雪蓮は必死で抑えようとするが───それは溢れ出てきて止まらない。 「かあさま…なかないで…ぼく…」 「泣いて…泣いてなんていないわよ。馬鹿ねぇ、何で…」 ───この子は、こんなにも優しいのに。 天はその命を奪うというのか。 「元気になったら…また李を取りに行きましょう。そうね…今度は皆も誘って、ね?」 「うん…ぼく、はや…く…げんき…に…」 一刀の目が閉じられる。 雪蓮の腕の中で、一刀の命が失われていく。 「かず、と…?」 雪蓮の呼びかける声に、返事はない。 「……ごめんね。ごめん…一刀。私、ダメな親だね…」 天幕の中に、雪蓮の嗚咽が響く。 それは───王としてではなく。 ただ子を亡くした母として流す───哀しみの涙だった。 「……ふにゅ?」 一刀は寝ていた身体を起こす。 「ここは…」 目を開けて周囲を見渡してみた。 辺りには一面桃の花が咲き乱れており───自分はその中心で寝ていた様だ。 「えと…僕、確か…」 一刀は頭に手を当てて記憶を辿る。 ……確か、雪蓮とお墓参りをしていたら突然何かが飛んできて。 それから身体が熱くなって、とても苦しくて、気が付いたら母様に抱きしめられてて───。 「うみゅー…僕、どうなっちゃったの?」 一刀が首を捻りながら考えていると、 「なんだ。てっきりあの馬鹿娘が来たと思ったら…こんな子どもが来ているとはな」 「ふえ?」 突然後ろから聞こえてきた声に、一刀は不思議そうに振り返る。 そこに居たのは───徳利を持った、薄桃色の長い髪の女だった。 背は雪蓮より少し高いぐらいだろうか。 腰に剣を挿し、不敵という言葉が相応しい笑みを顔に浮かべている。 ───母様にちょっと似てるかも。 何故だかは分からないが、一刀は直感的にそう感じた。 「儒子、名はなんと言う?」 「えーっと…ほ、ほんごうかずとです」 「ほんごう…なるほど、良い名だ」 そう言うとその女は一刀のところに来て、その身体を抱き上げる。 「ふわっ!?」 「安心しろ。何も酒の肴にしようとはせんよ。ほれ、しっかり掴まっていろ」 「う、うん…」 一刀は言われたとおり、ぎゅっと腕に掴まる。 「あれ…?」 「ん?どうした?」 「…母様と同じにおいがする」 一刀はもう一度くんくんと匂いを確かめる。 それは確かに自分の大好きな母と同じ匂いだった。 「ああ。そういえばあの馬鹿娘も同じ香が好きだったか。ふん…少しは好みも変わってるかと思ったが」 「…おばさん、母様の事知ってるの?」 不思議そうに尋ねる一刀に、女は愉快そうに笑った。 「ふふっ…まあいろいろ縁があってな。それと、私の事は堅お姉様と呼べ」 「堅おねーさま?」 「そうだ。一応まだおばさんと呼ばれるほど歳を取ってはおらんのでな。 …ふふっそれにしてもその呼び方…昔の祭を思い出すな」 堅と名乗った女は、大きな桃の木の下に来ると、一刀を抱いたままその根元にどっかりと座る。 そして持っていた徳利から豪快に酒を煽り、熱い息を吐いた。 「うむ。やはりこの木の下で飲む酒は上手いな」 堅はそう言って豪快に笑う。 「儒子…かずとと言ったか?どうだ?お前も飲むか?」 「僕、お酒嫌いー……」 一刀は差し出された徳利を付き返す。 堅は残念そうに徳利を引っ込めると、今度は自分の口に持って行き、豪快に煽る。 「…っぷは。この味が分からんとは可哀想だな…。まあいいさ、ところで…お前はどうしてここに来た?」 「ふえ?」 「ここは黄泉の桃園…。死者が現世の痛みを癒す場所。…だが、お前はまだ完全に魂魄が抜けていないな」 「えと、うーんと…良くわかんにゃい」 「はっはっはっ!そうか。私にも良く分からんから気にするな!」 「……」 一刀は堅の顔を見上げる。 その笑顔が、雪蓮の笑顔に重なって。 一刀は思わず口にだしてしまった。 「堅おねーさま…僕の母様にすごく似てる」 「…ほう」 それを聞いた堅は笑うのを止め、微笑みながら抱いている一刀の頭を撫でる。 「お前の母親は…どんな人だ?」 「んーとね…」 ───それから。堅と一刀は色々な事を話した。 あの世界に来てからのこと。 大好きな雪蓮のこと。 大好きなみんなのこと。 堅は優しく、時に笑いながら一刀の話を聞いていた。 「ふふっ…なるほど。あいつも中々に頑張ってるじゃないか」 一通り話を聞き終えた堅は、可笑しそうに笑う。 「うん!母様はすごいんだよー?」 「まあ、腐っても私の娘だからな。……それぐらいはして貰わんと困る」 「ふえ?それって…」 一刀がその答えを出す前に、堅が立ち上がって一刀の前に来た。 ───ざあっ、と。 強い風が二人の間に吹いた。 「ふわっ…」 一刀は思わず手で顔を庇う。 桃の花びらが散って、一刀の視界を覆った。 「ふむ…お前はまだここに来るのは早い様だな」 「あ、あのっ!堅おねーさま!?」 「戻ったらあの馬鹿娘に伝えておけ。我が子を二度と死なせるな…とな」 「ふえっ!?」 「達者でな!我が孫よ!」 その言葉と共に───。 一刀の意識は薄れていった。 一刀はゆっくりと目を開けた。 視界に見慣れた部屋の天井が入ってくる。いつも雪蓮と一緒に寝ている閨だ。 「ふあ…」 眠い目を擦って、一刀は寝台から身を起こす。 そして、伸びをしようと腕を上げようとするが─── 「いたっ!?」 右肩に刺すような痛みが走り、思わず蹲る。 見れば包帯が巻かれており、少しだけ血が滲んでいた。 「ふえ?ぼ、僕…いつこんな怪我…」 思い出そうとするが、頭が混乱しているのか記憶を上手く辿れない。 ここ最近の記憶がぽっかりと抜け落ちているような───そんな少し気持ちの悪い違和感を感じる。 「ふみゅう…?」 そうして一刀が頭を捻っていると、閨の入り口が開いて誰かが入ってきた。 包帯と水差しを抱えた……雪蓮だった。 「あ、あああ…」 雪蓮は暫く入り口で立ち尽くした後───飛び込んで、一刀を抱きしめた。 「母様…?」 「一刀…ああ、良かった…。もう───もう目が醒めないかもしれないって…ずっと…」 「ふえ?」 静かに泣く雪蓮を前に、一刀は状況が飲み込めず目を白黒させる。 「ぐすっ…ごめんね…?でも、今だけは…」 優しく髪を撫で、キスをしてくれる雪蓮に……一刀は身を任せる。 ───今はこうした方が良いと思うから。 そして、いつもの様に親子は挨拶を交わす。 「おかえり一刀…」 「うん。ただいま、母様!」 時は三国時代───歴史はまたその一ページを刻み始める。 分岐した外史……その歴史の行く先を知る者は、誰も居ない。