黄巾党の首領、大賢良師率いる本隊を撃破した孫策の勇名は大陸全体に広まった。 江東の麒麟児と噂される孫策の元には人材、資金、物資……全ての物が集まってくる。 ───雪蓮たちが戦の前に予定していた目論見は、見事に成功したと言える。 もちろん規模が大きくなれば袁術の目と耳を気にしなければならない。 雪蓮たちは今まで以上に周囲に気を配り、袁術悟られぬ様にその勢力を伸ばしていった。 やがて、一月が経ち───。 霊帝の崩御で始まった動乱は血で血を洗う暗殺劇の後、董卓によって一応の終焉を見るが 権力争いというものに終わりはない。 反董卓連合の激文は大陸中の諸侯を駆け巡り、諸侯の野心を掻き立てる。 そしてそれこそ孫呉の独立の好機であり。 待ち望んでいた動乱の訪れであった。 「ふぅ…ただいま」 「お帰り。首尾は?」 「上々。……上々過ぎて拍子抜けしちゃったわ」 雪蓮は呆れた様に笑う。 反董卓連合の檄文が雪蓮に届き、この機を利用して大陸諸侯の動きと 袁術の勢力を削ぐ事を画策したのだが… 「最初は袁昭が発起人という事で渋ってたんだけどね。皇帝になれるかもって言ったら あっさり参加を決めちゃった。……ほんと、馬鹿よね」 「さもありなん。強勢を張ってるとはいえ、袁術はただの我がままな儒子でしかないからの」 祭がうんうんと納得した様に頷く。 「そうだけど。でも、もう少し張り合いが欲しいんだけどね。……あれでも復讐する対象なんだから」 孫家にとって、袁術は領土を簒奪した盗人だ。 雪蓮としては今すぐにでも頚を跳ね飛ばしてやりたいところではあるが───、 「張り合いが無いというか。あそこまで馬鹿だとやる気が削がれると言うか」 「贅沢な事言わないの」 冥琳が呆れた声で窘める。 「はいはい。ま、袁術が馬鹿なお陰で、ようやく独立の機会が巡ってきたわね」 「…いよいよですね」 蓮華が感慨深く呟いた。 孫呉の独立───今ここに集う将兵全てが望む悲願が、もうすぐそこまで来ている。 「ええ、でもまだまだ。この戦で諸侯の動きを見極める必要があるわ」 先の黄巾の乱と同様、この戦も多くの有力諸侯が参加するだろう。特に北方の曹操、幽州の公孫賛、 新興勢力として頭角を現してきた劉備……これの後の群雄割拠の状況によって、雪蓮たちの採る道も変わってくる。 「ここからが正念場よ。…皆、力を貸してね」 『応!』 全員が即座に答える。 いよいよ独立に向けての戦いが始まる。その喜びと期待が、皆の胸の中に広がっていた。 そして出撃準備が整い、袁術より出陣の命令が下される。 孫呉独立───その足掛かりとなる戦いの始まりであった。 「冥琳。反董卓連合に参加してる諸侯って、どのくらいいるの?」 連合の合流地点に向かう道程、雪蓮が冥琳に現状の確認をしていた。 「そうだな…。参加してる軍勢は先の黄巾党との戦いで見た旗と大体同じだろう。それに袁術の軍勢や、 涼州連合の馬一族…」 「それに各地方の有力な太守さんたちも参加してますね」 「あらあら、殆ど董卓以外の全諸侯が参加してる訳ね…」 すでに漢王朝が瀕死の呈を成している今、飛躍には持ってこいの時機だ。 ただし、その全員が飛躍出来るとは限らない。一年後には半分……いや、三分の一程度残っていれば 良い方だろうと雪蓮は予想している。 「さて、一刀。これがどういう事か分かるかしら?」 「ふえ?」 雪蓮は横で話を聞いていた一刀に問いかけた。 問われた一刀は全く予想していなかった様で、きょとんとしている。 「そうだな…誰が飛躍すると思うか、お前の予想を聞かせてくれ。各諸侯のことはこの前話しただろう?」 冥琳にまで答えを求められ、一刀は困惑した表情を浮かべた。 「んと、確かさんかしてるしょこうさんたちは前と同じで…」 そこから教えて貰った事を一つずつ思い出す。 「まずは曹操さんがいちばん…かな?あと僕たちと、袁術さんに袁昭さんと…んと…あとは…」 「それに最近頭角を現してきた劉備さんですねぇ。中々に侮れない存在だと私は思いますよぉ」 穏が助け舟を出してくれて、一刀は内心でほっとした。 「このうち袁術は我らが打倒するとして…ならば、一番警戒すべきは曹操だろうな。ほう、中々に良く覚えてるじゃないか」 「えへへ…」 冥琳から及第点を貰い、一刀は嬉しそうに笑った。 「劉備、か。一度話してみるのもいいかもね」 「劉備さん…どんな人なんだろう」 一刀は自分の中にある記憶を探ってみる。この世界に来る前───幼稚園の絵本で読んだその人物は、徳の高い やさしい人物として描かれていた。 この世界で劉備がどんな人物になっているのかは分からないが、一刀には少し興味があった。 「ま、この時機に義勇軍の大将から平原の相に成り上がった人物だもの。只者ではない事は確かね」 「…ねえ母様、僕も行ってもいい?その、ちゃんと良い子にしてるから…」 その一刀のお願いに、雪蓮はにっこりと笑って頷いた。 「最初からそのつもりよ。英雄…かどうかはまだ分からないけど、そういう人物を見ておくのも良い勉強になるでしょう」 「うん!ありがとう母様!」 一刀はそう言って雪蓮の腕に抱きつく。 「ふふっ…ま、今回私達は脇役に徹するつもりだし。じっくりと観察させてもらおうかしらね」 「…そうしたいのは山々だがな。中々に難しいところだ」 脇役に徹するとしても、袁術に二心を疑われては元も子もないし、何よりここで孫呉の軍は知勇兼備であると 見せ付けなければならない。 しかもその後の独立のため損失を最小限に抑えて、である。 そして独立に関しての仕込みも同時に進めなければならない。健業───孫家の根拠地に蓮華と黄蓋を派遣し、 独立のための勢力固めに動いて貰っている。 幾ら部隊が精強になったとはいえ、主だった将の二人が抜けることの穴埋めは容易ではない。 「…という訳だ。かなりの難事ではあるな」 「…だいじょうぶ、だよね?」 一刀にもこれを達成するのがどれだけ困難かという事は良く分かる。 知らず知らず不安げな顔をしてしまう。 「ま、今回は新人や若者たちの修練の場ってことでいきましょうか」 「人数が人数だから、私と雪蓮も出張るがな。お前も経験を積むと良い」 「う、うん…」 「大丈夫、一刀に槍働きをしろなんて言わないわよ。私達がどう動くか、どう戦うかを いつも通りちゃんと見てお勉強すればいいの」 「そうですよぉ〜。頑張りましょうねぇ♪」 そうしてる間に諸侯の合流地点が近づいてくる。 遠目からでも多くの軍勢がそこに集まっているのが見え、一刀の動悸は静かに高まっていった。 一刀たちの部隊が合流地点に入った丁度その頃。それをいち早く見つけた部隊がいた。 牙門旗には劉の旗───黄巾党の乱で名を上げ、平原の相まで成り上がった劉備玄徳の部隊だ。 「桃香様。新たな部隊が到着したようです」 艶やかな長い黒髪を束ねた美人が、桃色の髪の女性───劉備に報告する。 姓は関、名は羽。字は雲長。呂布と並び、後に三国時代最高の武人と讃えられる将がそこに居た。 「新たな部隊って…どこの人かな?」 「旗印には孫の文字。……あれは江東の麒麟児の部隊だな」 劉備の横に居た超雲がその問いかけに答える。 「江東の麒麟児?」 劉備が首を傾げると、 「孫策さんと仰る方ですね。先代は孫堅さん。江東の虎と呼ばれた方の後継です」 隣に居た少女がすかさず答えた。 諸葛亮孔明───こちらも後に三国一の軍師と讃えられる知将である。 「英雄さんの娘さんかぁ…。きっとすごく強い人なんだろうね」 「頼もしいお味方であってくれれば良いのですが…」 暢気な劉備の声に、関羽が眉を顰めながら答える。 「あはは、きっと大丈夫だよ♪」 「相変わらずのお気楽なお姉ちゃんなのだ」 劉備のお気楽な声に、ニコニコしながら張飛が答えた。 「ふっ。まあ孫策殿がどのような人物なのか…一度話してみれば分かるだろう」 「ん…それじゃあ、後でお話してみよっか」 「それがよろしいかと。では、後で使者の方を出しておきますね」 「うん♪」 劉備はにこやかに頷いた。 「ふあー…」 一刀はぐるりと周囲を見渡してみた。 見渡す限りの大地に、悉く諸侯の陣地の天幕が張られ、旗がたなびいている。 「すごいや…前に見たときより多くなってる…」 「そうだな。参加している諸侯の数も違うが、我々が力を付けた様に他の諸侯も当然ながらその力を増している」 一刀の感想に冥琳が補足を入れた。 「急激に数が増えたところもあるが…まあそれだけ人や物が集まる時代という事だ」 「風雲が近づいてるからね〜。寄らば大樹の陰って奴よ」 乱世になれば必ず成長してくる勢力が出てくる。そしてそれは大きければ大きいほど人は集まりやすくなるものだ。 この時勢に急激に数を増やした勢力はまず強国と見て良いだろう。 「ま、それはそれとして…それより冥琳〜。軍儀に行って来て〜」 「…軍の代表が行くべきだと思うけど?」 「却下。興味ないもの」 ぷいっと顔を背けて拒否を示す雪蓮に、冥琳は盛大にため息をついた。 「はぁ〜…一刀、どうにかしてくれ」 「ふえ!?ぼ、僕が!?」 「お前が言えば雪蓮も動く」 「い、いやでも…母様ぁ」 「んもう、冥琳はそうやって一刀をダシにしたり、ため息吐くけど。どうせ主導権を握るための腹の探り合いでしょ? そんな無駄で不毛な議論、見たくないもの」 そう言うと雪蓮は一刀を抱き上げて、 「こうやって一刀と遊んでる方がまだ有意義ってものよねー♪」 「あ、あの…ふあ…」 一刀としてはこれをされると何も言えなくなる。 「あのね。私だって行きたくないわよ」 「でも行ってくれるんでしょ?冥琳優しいし♪」 「・・・貸し一つよ」 またため息を吐いて、冥琳はしぶしぶ了解の意を返す。 「了解。…うふふ、閨で返しましょうか?」 「…子どもの前で変なこと言わないで。では私は軍儀に出る。穏!部隊の指示はお前に任せる」 「はぁ〜い♪それじゃあみなさ〜ん、ちゃっちゃっと天幕を張っちゃいましょうかぁ」 相変わらずのほんわか口調で、穏は兵士に指示を出しながら陣地を設営して行く。 「じゃあ一刀、私達はお散歩でもしましょうか♪」 「……だ、そうだ。雪蓮のお守りを頼んだぞ一刀」 「にゃはは…がんばります」 それだけ言うと冥琳は背を向けて歩き出した。 「……ねえ母様。冥琳おねーさま、もしかしておこってる?」 「んー?まあ気にしなくていいんじゃない?それよりー久しぶりに二人でお散歩しよっか♪」 本人が聞いたら噴飯ものの発言をしながら、雪蓮は一刀の手を取り歩き出す。 一刀は少しだけ冥琳の事が気になったが、雪蓮と二人きりで過ごせるのはやはり嬉しかった。 二人は手を繋ぎながら、ゆっくりと歩く。 「どう?もうこっちの生活には慣れた?」 「うん。……でも、せんそうはまだちょっとこわいかも」 「そういうのは怖いぐらいで丁度いいの。怖く無くなって、まだ行ける!なんて思い出した時が一番危ないんだから」 戦場で恐怖するのは決して悪い事ではない。恐怖や臆病さは言い換えれば慎重さに繋がる。 戦場において慎重さのない行為───それは蛮勇と呼ばれるものだ。 蛮勇は味方を殺す。ある意味、敵より厄介な存在である。 「でも、僕まだよわっちいから母様たちと一緒に戦えない…」 自分でも無理を言っているのは分かる。だが一刀は自分の手で大事な人たちを守れない事が、ただ悔しかった。 うつむいて、ぎゅっと唇を噛む。 自分の無力さが、情けなかった。 「…バカね。一刀はそんな事しなくてもちゃんと私達を守ってくれてるわよ?」 雪蓮は笑いながら一刀の頭を撫でる。 「…ねえ、あそこを見て」 雪蓮は陣地を設営している呉の部隊を指差す。そこでは兵士たちが笑いながら陣地を作っていた。 「一刀も知ってると思うけど…呉の人間はね。本来、自分達の所有していたものを全て掠め取られたの」 それはこの世界に来て最初に聞いた話。先代の孫堅が死んだ後、自分達の力が足りなかったせいで呉が分裂し、 その結果、袁術の客将に甘んじるしかなかった屈辱の歴史だ。 将だけではない。その配下の兵士たちにもつらい生活を送らせてしまっている。 「その持ち物を取り返すためにずっと戦って来た。だけどね、それだけじゃただの獣と変わらないわ」 「……」 一刀は黙って雪蓮の話を聞いている。握った手に少し力が入った。 「一刀はね。そんな私達に人間だって……自分達のやっている事は間違ってないんだって。 そうやって再確認して一息つくために、すごく私達の力になってくれているの」 そして、と。雪蓮はそこで言葉を区切り、 「その大切なものを守るために、私たちは全力で戦う事が出来る。勝って、そして生きて帰ろうと思える。 …だから自分が無力なんて卑下しちゃダメ。そして誇りなさい。 あなたは呉にとって、何よりも力をくれる“希望”なんだから」 暫く、沈黙が続いた。 そのうち陣地を設営していた兵士がこちらに気が付いたのか、一刀に向けて手を振っている。 「…あのおじさん。僕にお弁当をくれたんだ」 「そう」 「あっちおじさんは前に荷物を運ぶのをお手伝いしたの。僕と同じくらいの娘がいるんだって」 「そう。ふふっ…一刀ならその子も簡単に落とせちゃいそうね」 「……ねえ、母様。僕、ちゃんとみんなの役に立ってるのかなぁ?」 「心配しないの。この私が…あなたの自慢の母様が保証してあげるわ」 そう言って雪蓮は一刀を抱いたまま座る。お互い何も言わず、ただ静かに寄り添って。 それは、慌しい戦場の中でただ穏やかに過ぎて行く『親子の時間』だった。 「…で、人に面倒ごとを押し付けて、あなたたちはなにをまったりしてるのかしら?」 「あ、あら冥琳〜。お早いお帰りなのね……」 暫く経った時、いつの間にか冥琳が後ろに立っていたことに雪蓮は漸く気付く。 「……」 「し、しかもちょっとご立腹?べ、別にいいでしょ。久しぶりに一刀と二人きりになれたんだし」 「…そこじゃないわ。他人の腹の探り合いにあてられたのよ」 慌てて言い訳する雪蓮に、冥琳は心底疲れたようにため息を吐く。 「…反董卓連合の総大将は袁昭に決まった。まあ裏で袁術が絡んでるのは確実だけどね」 「ふむふむ…それで?」 「連合軍は一致団結して洛陽を目指すそうだ」 「まぁ当然よね。…それで?」 雪蓮が先を促すと、そこで冥琳の言葉が止まった。 「…おねーさま?」 「何よ?私に言えないことでもあるの?」 一刀も一緒になって先を促すが、冥琳の口から出てきたのは 「それだけだ」 という一言だけだった。 「…どうやって洛陽を目指すとか、そういう作戦みたいなのは?」 「ない」 「えと…どうやって董卓さんと戦うとか。みんな一緒に行動するときのお約束とかは?」 「それもない。…一刀にまで指摘されるとは、情けない限りだがな」 冥琳はこめかみをひくひくさせながら、怒りを滲ませ続ける。 「作戦も役割分担も何も無い。…いや、あるにはあるが、これを作戦と呼ぶのは軍師としての誇りが許さん」 ───普段冷静な冥琳がここまで怒っている。 雪蓮と一刀は思わず顔を見合わせた。 「連合軍は洛陽に向かう。途中にある水関、虎牢関を力ずくで落としてな」 「うわぁ…」 流石の雪蓮もこれには口元をヒクヒクさせながら沈黙する。 「あ、あの…それって…もしかして…」 「ああそうだ。二人の考えてる通り、何も考えずただ前に進むだけ。…呆れ果てて何も言えなかったわ」 いつも冷静沈着な冥琳をここまで疲労させるとはどれほど不毛な軍儀だったのか。 一刀には考えもつかないが、その苦労は目の前にいる冥琳を見れば何となく理解できた。 「それはとりあえず置いておくとして…先陣は劉備に決まった。まあ、この状況だと捨て駒でしょうね」 「弱小勢力の悲哀よね。どうせ押し付けられたんでしょ?」 「まぁね。……しかし、この状況を乗り越えればあの勢力は大きくなる」 冥琳の見るところ、劉備の軍は天の時と人の和、その二つを備えている。 関羽、張飛と言った豪傑を従え、知将も豊富な上に先の乱を利用してのし上がる天運もある。 この戦いを乗り越えれば間違いなく天下を担う英雄の一人となるだろう。 そして何より重要なのが───同じ英雄として曹操よりも与しやすいと冥琳は考えている。 それは言い換えれば味方として利用出来るという事だ。 「…良いわね。よし、劉備を助けましょうか」 「そうだな。ここで恩を売っておくのも良かろう」 「ま、私が気に入らなければ捨てるけどね」 味方に引き込むと言ったわりに、雪蓮はあっさりとしている。 「それも手か。…では劉備の陣地に使者を出しておこう」 冥琳はそう言うと手近の伝令を呼び、指示を伝えて行く。 「劉備さんか…」 ───どんな人なんだろう? 雪蓮の横で一刀はまだ見ぬ劉備の姿に思いを馳せていた。 一刀たちは使者の帰還を待って劉備の陣を訪問した。 「さてさて、どんな人物かしらね…」 雪蓮は笑いながら言うが、その目はしっかりと劉の旗を見ている。 やがて一行は劉備の陣の手前に到着した。 「待て!お前たちは何者だ?何故我らの陣に入ってくる?」 しかし、いざ陣内に入ろうとしたところで黒髪の女性が立ちふさがる。 こちらを睨みつけ、殺気までも放っている。 「名を名乗れ。…さもなくば」 「控えろ。こちらにおわすは我が呉の盟主、孫策様だ。……陣を訪れる事は先触れの使者から伝わっているはずだが?」 冥琳がそう言うと黒髪の女性は表情を崩し、構えを解いた。 「ああ、あなたが江東の麒麟児か……」 「…なにそれ?」 雪蓮がきょとんと首を傾げる。 「キリンさん?でも僕、象さんの方が好きかも…」 「象?キリン?」 「うん。キリンさんはね、とっても首が長いんだよ?」 「ふーん、そんな動物がいるんだ…。一刀は物知りねぇ」 「えへへ…」 「……伯符、あなたの名です」 冥琳がため息を付きながら言う。 「へぇ〜…私ってそんな風に呼ばれてたんだ」 「あなたの勇名は大陸中に響いてますからね」 先の乱の結果、一番に敵本隊の城を落とした雪蓮の勇名は大陸中に広まっていた。 それはある程度は意図的に流したものであるが、人の噂とは得てして広まるのが早いものだ。 「お姉ちゃん、かっくいいのだー」 黒髪の女性の横にいる小柄な女の子がニコニコとしながら雪蓮を褒める。 「あはは、ありがと。…で、そういうあなた達の名は?」 「我が名は関羽。字は雲長」 「鈴々は張飛なのだ♪」 張飛に関羽…どちらも大陸に武勇を轟かせる二大豪傑である。雪蓮も感心したように「へぇー」という声を上げた。 「あなたが関羽ちゃんに張飛ちゃんね。ねぇ、劉備ちゃんいる?ちょっとお話したいから、呼んで欲しいんだけど」 雪蓮のその言葉に関羽がいち早く反応した。 「呼ぶことは構いませんが。……一体どのような用件でしょうか?」 顔には笑顔が浮かんでいるが───その裏には一刀でも分かるぐらいの警戒が浮かんでいる。 「あ……」 一刀は直感的に悟る。これは───母様が一番嫌う顔だ。 本音を隠し、建前と嘘で取り繕った顔…それは絶対にしてはいけないと一刀は厳しく言われている。 現に雪蓮の表情を伺ってみると先ほどまでの笑顔が嘘のように厳しい顔になっていた。 「…下がれ下郎」 「なにっ!」 一刀の予想通り、雪蓮は激怒していた。 「我は江東の虎が建国した孫呉の王!王が貴様の主人に面会を求めているのだ。家臣である貴様はただ取り次げばよい」 「何だと!?」 刃の様に鋭い言葉に、関羽も激昂する。 「我らには主を守る義務がある!例え王だとしても、不信の者を桃香様に会わせられるか!」 そう言って、関羽は刀を構えた。 「それでもまかり通るというのなら…この関羽が相手となろう!」 「ほう…大言壮語だな。関羽」 雪蓮も腰から剣を抜き、 「ならば相手になってやろう」 関羽の前に対峙する。周囲の空気が一気に冷えて行く。 一触即発。まさに両者が動こうとしたその時─── 「愛紗ちゃん!?どうしたのっ!?」 そこに桃色の髪をした少女が割って入って来た。 「と、桃香様……」 それを見て関羽は刀を引く。 「愛紗と孫策お姉ちゃんがちょっと喧嘩したのだ。でも二人とも本気じゃなかったから、心配しなくてもいいのだ」 張飛が状況の説明と補足をする。 そこで漸く雪蓮も剣を収めた。 「あら。私が本気じゃないって、どうして分かるのかしら?」 「武器を構えたのに殺気が無かったのだ。だから鈴々は安心して見てたのだ」 「あ…そっか」 そこで一刀は先ほどから感じていた違和感の正体に気が付いた。 (いつもせんそうで見る母様の表情じゃなかったもんね……なるほど…さっきがなかったのか) 一刀は一人納得したようにうんうんと頷く。 「ふーん…すごいわね。張飛ちゃん」 「お姉ちゃんもなー。愛紗、武器を持って下がってるのだ」 張飛に説得され、関羽は渋々と言った様子で武器を収め後ろに下がる。 「すみません。愛紗ちゃんがご迷惑をお掛けしました……」 「別に構わないわ。どうせ関羽も本気じゃなかったでしょうし」 雪蓮はさらりと流してみせる。そして一つ間を置いて、 「それより…あなたが劉備?」 目の前の桃色の髪の少女に話しかけた。 「へ?そ、そうですけど…あなたは?」 「孫策。字は伯符。呉の王よ。…まあ、王と言っても今は領土も無く、家臣も少ないけどね」 「あ……。あなたが孫策さんだったんですかぁ」 口を丸くぽかんと開けて、劉備と名乗った少女がマジマジと雪蓮を見つめる。 「あの…それで御用の方はなんでしょう?」 「んー…とりあえず挨拶。あと、ちょっとした提案をしに来たのよ」 「提案…ですか?」 予想外だったのか、劉備は小首を傾げ、問い直してくる。 「そ。あなた達、先鋒にさせられたのよね?」 「はい……」 先の軍儀の様子を思い出したのか、劉備の声には覇気がない。 「どう?勝てる見込みはあるかしら?」 「……分かりません。愛紗ちゃんや鈴々ちゃんが居たとしても、絶対的に兵士の数が足りてませんから」 劉備には将は居るが兵がない。それは新興勢力としてどうしても避けられない弱みであり、 そして今回の様な多数対多数の戦においては致命的とも言える弱みだった。 「正直、まともに董卓さんの軍勢とぶつかれば負けると思います」 そこは劉備も良く分かっているのか、本音を隠そうとはしなかった。 「そうよねぇ…。だったらさ、手を組まない?」 「へっ!?」 意外な提案に、劉備が困惑の表情を浮かべる。 「劉備軍と私たち孫呉の軍。合わせて先鋒を取れば勝ちの目も出てくるでしょう?」 「それはそうですけど…」 劉備たちにすれば是が非も無く受けたいところだろう。自分達の手勢では勝ち目がない限り、 他の諸侯が協力してくれるのならこれほど有り難いことはない。 「でも…そんな事して孫策さんに何の得があるんですか?」 すかさずそう返して来た劉備に、雪蓮は内心で感心する。 (天然なほわほわした子だと思ってたけど…どうして、中々にしっかりしてるじゃない) これなら胸襟を開いて話してもいいかもしれない。少なくとも、利を提供する限りはこちらを裏切らないであろう。 雪蓮はそう決断すると、劉備の顔を見つめながら話を続けた。 「…という訳よ。私は袁術から呉の地を取り戻すために外の味方が欲しい。そして劉備。あなたもこの先を 生き残るためには、どこかに味方が欲しい」 雪蓮は自分たちの境遇を打ち明け、劉備の顔を見つめる。 「…孫策さんの仰るとおりだと思います」 「そう。ではこの点についてお互いの利益は一致していると思うんだけど。……私の勘違いかしら?」 雪蓮に問われた劉備は少し考え、 「…どうして私たちなんですか?」 「あなたが義理堅そうだから。信用できそうっていうのが一番大きな理由かしらね。それに…二つ目の理由として、 あなたと私たちの勢力が今は五分五分だからよ」 「なるほど。分かりました。……でも」 「でも?」 「孫策さんが信用出来るかどうか、私たちにはまだ確証がありません」 劉備は真っ直ぐに雪蓮を見返す。 「…信義を見せろと?」 「そうです」 「良いわ。なら見せてあげましょう」 大きく頷いた雪蓮は劉備に背を向ける。 「孫呉の戦い振り、その目でしかと焼き付けておきなさい。それでもし私が信用に足らないと判断するならそれで良し」 そう言って、顔だけで振り返る。 「…いつか戦場で矛を交えるだけよ」 その顔には、獰猛な───しかし自信に満ちた笑みが張り付いていた。 劉備との対面を終えた一刀たちは、出陣準備に向けて慌しく混雑する連合軍の陣を突っ切り、 自分達の天幕に向かっていた。 「…・・・中々やるわね。彼女」 ぽつりと雪蓮がこぼす。 「劉備さん…僕らのこと信じてくれてないのかなぁ…」 「まあこちらの言う事は全て疑って掛かっていた様だな。…それぐらいでなければこの乱世を生き抜く資格はないが」 「そうなんだけどねぇ。見た目に反して結構強かだったのがちょっと意外。…まったく、上手く乗せられちゃったわ」 「うん…」 一刀は劉備の外見を思い出す。 優しそうな瞳、雰囲気───それは一刀の予想してた劉備の範疇ではあったが、 「うーん…なんか予想外かも」 もう少し抜けてるというか、あっけらかんとしているものを思っていた。 「だけどああいう型の人間は、一度認めさせたら絶裏切らないわ。心強い味方になってくれるでしょうね」 「ならばまずは初戦。水関で信用を得なければならんな」 水関は難攻不落で名高い関の一つだ。そこに篭っている敵兵の数も八万から十万程度。 劉備と孫策の両軍を合わせても遥かに及ばない。 その上、篭城までされるとなると……まさにお手上げだ。 「もういっそ突撃しちゃおうかしら?」 「却下だ。さて…どうしたものか」 そう言うと冥琳は思案げに天を仰ぐ。 「一刀…何か良い案はないか?」 「ふえ?ま、また僕!?」 問われて一刀は考える。考えるが… 「…ふにゅう、わかりません」 「そうそう♪分からない事に頭を使うより、いっそ突撃しちゃう方が…」 「戯言は置いておくとして。…一刀、何故無理だと思う?」 ばっさりと斬り捨てられた雪蓮は「ひどーい!」と膨れてそっぽを向く。 「んー…だってすっごく堅いお城に、兵隊さんも僕たちよりすごくいっぱい居て…。そんなの無理だよぉ」 単純な引き算の問題だ。八万対一万は絶対に勝てない。 只でさえ城攻めには相手の三倍の戦力が必要だと言われているのだ。 「正論だな。…ではどうする?落とさなければ我々の負けだ」 「うーん…じゃあ…お城から出てきてもらう…とか?」 「ふむ。だが方法はどうする?」 「…お願いするとか」 「あっはっはっ!良いわねそれ!うんうん、すっごく一刀らしいわ♪」 大爆笑している雪蓮が、ぽんぽんと一刀の頭を撫でる。 「むう…そんなに笑わなくたっていいじゃない…」 「そうだぞ雪蓮。…一刀のその言葉のお陰で、一つ良い策が浮かんだ」 冥琳は静かに笑う。一刀と雪蓮は不思議そうに冥琳を見た。 「策って…今ので?」 「もしかして、本当にお願いしてみるの?」 「まさか。だが相手の将軍は確か華雄…ふふっ、面白い事になりそうだ」 そして一刻後。 反董卓連合の総大将となった袁昭から出陣の命が下される。 水関の戦い───難攻不落の城攻めが今始まろうとしていた。