諸侯が黄巾党の本拠地を包囲してから半日───。 緒戦において攻めあぐねている連合軍は、夜になり一応の休息の時を迎える。 只一つ、孫呉の部隊を除いて、だが。 「ふぅ……」 一刀は天幕の外でため息をついた。 作戦開始まであと数刻もない。落ち着かない心を少しでも鎮めようと、 天幕から出て空を見上げる。 「みんな、だいじょうぶかなぁ…」 あの時はただ頭に浮かんできた事を言っただけだが、まさかそれが採用されるなんて思ってもみなかった。 ───自分の思いつきで、大事な人たちが死ぬかもしれない。 その事を考えるたび、胸がなんとも言えない感じになる。 一刀は胸に沸いて来るそれをぶるぶると首を振って追い出した。 「かんがえても仕方ないもんね…」 残念ながら、今の自分では雪蓮たちと一緒に戦えない。ただ横で守られているしかない。 当たり前だ。弱い自分が戦場で前に立てば、ただ足手まといになるだけ。 しかし、今の一刀にはそんな自分が歯がゆかった。 ───早く大人になりたいなぁ。 とは思うものの、急になれるものではないと理解しているだけに、なんとももどかしい。 いろいろな事が頭に浮かんで来て、思考が纏まらない。 「……一人で何をしている」 「ふえ?」 考え事をしている一刀の後ろから声を掛けてきた人物がいた。 いつの間にかすぐ後ろに立っていたのは、孫権だった。 「うん…なんだかいろいろ考えちゃって」 「何を考えている……?」 「んとね。ちゃんとみんな無事に帰って来ますようにって」 結局のところ、一刀の不安の原因はそれに尽きる。戦の勝ち負けも大切だが、 自分にとっては大切な人たちが怪我をせずに帰ってくる事が何よりも大事なことだ。 「……怖くはないの?」 「…うん。じつはすごく怖い」 一刀は素直に自分の心中を言った。 「そうか。…ふっ、男の子のクセに軟弱なのね」 孫権は笑うと、一刀を後ろから抱きすくめる。 一刀は少し緊張したが、素直にされるままに任せた。 「むう…なんじゃくじゃないもん」 「……私はこれが初陣なんだ。本当は怖くてたまらない」 「ふえ…そうなの?」 「ああ。そういえばあなたはもう戦を経験してるのね」 「うん。…でも、ただ見てただけだよ?」 「それでもちゃんと戦場に立って戦いを見ていたんでしょ?それなら立派なものだわ」 そう言ってから、孫権は空を見上げた。 一刀も吊られて空を見上げると、そこには綺麗な星が瞬いている。 しばらく二人でそれを眺めていると、一刀は心に暖かいものが広がり、不安が消されていくように感じた。 「えへへ…じゃあ僕の方がせんぱいだね」 「子どもが何を言うの。生意気な」 「でもでも、僕も緊張してるし…。お互いさまだね」 「ふんっ…」 孫権は笑いながらコツンと一刀を叩く。 「お前に言われなくても、盗賊如き下郎に遅れを取るつもりはない。…お前も安心しておけ」 「ふえ?」 「……私が守ってやる。姉様とも約束したしな」 「うん…ありがとう。えーっと、孫権…」 「蓮華でいい。それとも、そう呼ぶのは嫌か?」 「ううん。じゃあ…蓮華おねーさまだね!」 「まあ、それでいいわ…」 蓮華と一刀は笑い合う。いつのまにかお互いの心にあった、不安や緊張が解れていた。 そして時刻は亥の時───孫呉の作戦が始まる。 「作戦を開始するぞ。興覇、幼平。行け!」 冥琳の号令の元、部隊が展開して行く。 「黄蓋殿は孫権と共に正面へ。あとは作戦通りに頼みます」 「任せておけ。策殿、行くぞ!」 「了解。……それじゃ蓮華、一刀、行ってくるわね」 「はい。お気をつけて…」 「一刀も蓮華の傍を離れちゃダメよ?」 「うん。母様…頑張って!」 「うふふ…ありがとう。孫策隊、出るぞ!」 雪蓮の号令以下、兵たちが「応!」と答え動き出した。 「伯言は蓮華様と共に後ろに下がれ」 「は〜い!行きましょうか。一刀様、蓮華様♪」 「うむ。……行くぞ、一刀」 「はーい」 「あ、待って下さいよぉ〜。蓮華様ぁ〜!」 蓮華は一刀の手を引いて後方へと下がり、それを穏が追いかけて行く。 雪蓮たちはそれを後ろから見送って、 「…蓮華ったら、一刀といつの間に仲良くなったのかしらね」 「ふむ…坊め、さっそく蓮華様を篭絡したのかの」 祭が愉快そうに笑う。 「それはそれで嬉しい事ではあるんだけど、母親としては少し複雑ねぇ〜」 「ふっ…いつの間にかすっかり母親役が板についてるじゃないか」 「そりゃあね。あれだけ懐かれたら情も湧くって」 雪蓮は優しく笑う。 一刀と初めてあった日の事を思い出す。 あの日……初めて添い寝した日に眠っていた一刀の目から零れた涙を、雪蓮は良く覚えていた。 「まだ五歳の子を、こっちの都合で利用するんだもの。せめて母親代わりぐらいにはなってあげないとね♪」 「……そう言う割りには楽しんでる様だが。さて、そろそろだな」 冥琳の言葉とほぼ同時に城の中から火の手が上がる。 「っと。それじゃ援護お願いね♪」 「ああ。右翼部隊は前進!左翼部隊は突入部隊を援護しろ!賊共に我ら孫呉の力を見せ付けてやれ!」 その号令と共に、兵たちが駆け出して行く。 冷たい月が見下ろす戦場は、熱を帯び、兵たちの命と血を吸って沸騰していった。 結果的にこの策は見事に成功した。 内部で倉を燃やされた黄巾党の部隊は、混乱しながらも城壁から果敢に反撃したものの、冥琳の指揮する弓隊に悉く狙撃され、 更に勢いを増した火災に城壁の上にいる兵士すら呑まれていった。 そして…… 「敵の大将旗が倒れました!」 明命の報告を受けた雪蓮が剣を抜き、号令を下す。 「よし!今こそ決戦の時!皆の者、突撃せよ!」 総大将の号令の元、城内に突撃した呉の兵士たちは黄巾党を蹴散らして行った。 やがて、黄巾党は全て殺し尽くされ───ここに黄巾党の本隊は壊滅した。 「皆の者、勝ち鬨をあげよ!」 「おおおおおおおおおーーーーーー!」 天に兵士の雄叫びが上がる。それは燃え盛る夜空に木霊し、どこまでも雄雄しく響いていった。 「ふう…」 一人、天幕の外に出る。 ───眠れない。 恐怖、興奮、安堵……そんなごちゃ混ぜの感情が一刀の心を渦巻く。 凱旋してきた雪蓮たちを迎えた時、とりあえず誰も怪我をしていない事に安堵した。 「そんなに心配しなくても大丈夫なのに。馬鹿ねぇ♪」 と、雪蓮は言っていたが…この不安はどれほど経験しようと慣れるものではないと一刀は思う。 そうして一刀が一人外で考え事をしていると─── 「また一人で考え事?」 「ふあ…蓮華おねーさま?」 後ろから外套を掛けられる。いつの間にか、蓮華が傍に立っていた。 「こんなところにいたら風邪を引くわよ。……何を考えているの?」 「んとね。みんながちゃんと戻ってきてくれたことかな」 「……」 「僕はまだ子どもだから、みんなと一緒に戦えないから…」 「そんな事ないわよ」 そう言って蓮華は一刀の頭を撫でる。 「それを言えば私だって同じよ。今回は見てるだけだったもの」 「えへへ…じゃあ、僕も蓮華おねーさまももっともっと頑張らないとね」 「子どもが生意気言うんじゃないの。そういう事は、せめて私の背を追い越してから言いなさいな」 「うう…いつかは抜いちゃうもん」 蓮華に頭をぐりぐりされた一刀は、ちょっと拗ねた様に口を尖らせる。 「ふふっ…楽しみにしてるわ」 蓮華は愉快そうに笑い、一刀の横に座った。 「ほら、おいで。こっちで一緒にお話しましょう」 「…うん!」 二人は星空の下、同じ外套に包まりながらいろんな事を話す。 雪蓮の事、一刀の事、蓮華の事───。 それは二人にとって忘れられない時間であり、お互いをより深く知り合う事の出来た記念の日でもあった。 この日───大陸を混乱の坩堝に追い落とした黄巾党の乱が集結した。 しかしそれが大陸に残した傷跡は大きく、もはや漢王朝にそれを修復する力は失われていた。 この後に起こる帝位の簒奪……これを持って、漢王朝はその勢力を全て失う事になる。 三国時代───その第2幕の上がろうとしていた。